「ラマダン月を迎える際の慣習」(2018年05月28日) 2018年5月15日に開かれた宗教省のイスバッ会議で、今年のラマダン月初日は5月 17日と決定された。インドネシア政府は依然としてヒジュラ暦の各月初日をヒラルルキ ヤッに基づいて確定しているため、観測日の日没に月の出が見られたらその瞬間からその 月ついたちが始まり、観測されなければ翌日の日没からその月のついたちが始まる。ヒジ ュラ暦の一日というのは日没から始まるのだが、インドネシアにおける通常の表現として は、現代の一日という時間の定義にあわせて、あたかも深夜0時を一日の開始とするよう な言い方がなされている。 つまり観測日に月の出が見えたら、明日からついたちであるという表現だ。このように四 分の一日ずらすことによって、国民の日常生活に起こる不都合をミニマイズしているよう に見える。 インドネシア人がラマダン月を迎えるためにする慣行がいくつかある。コンパス紙R&Dが 2018年4月21〜22日にジャボデタベッ地区電話帳からランダム抽出した415人 に電話インタビューして集めた統計によれば、回答者たちは次のようなことがらを行って いる。 1.ファミリーの墓にお参り 43.1% 2.食べ物や消費用品を贈る 15.2% 3.互いに赦し合うあいさつ 10.4% 4.帰省 8.7% 5.宗教の務め励行を増やす 6.5% まずそれらの慣行をどれだけの人が行っているかについては、 したことがある 61.7% したことがない 34.9% 残りは不明・無回答 したことがあるひとに関して、毎回しているのかどうかについては、 毎回行っている 58.1% ときどき 14.2% あまりしない 23.9% だった。 墓参はnyekar, nyadran あるいはスンダ語でmunggahanなどと呼ばれており、亡くなった ひとへの祈りを捧げるのが目的だ。イスラム宗教界もウンマー構成員にそれを勧めており、 生は死に至ることを認識させて生の諸快楽に溺れることなく、来世に渡るための心の準備 をさせる効果を狙っている。 ファミリーや隣近所知り合いなどに菓子類、シロップ、コーヒー、砂糖、粉乳、ナツメな どを贈ることを、ブタウィではnyorogと言う。それらは断食に入ってから消費される品物 であり、よそから贈られることで手数が省けるとともに、贈ってくれたひとの好意をも味 わうことになる。お菓子作りの得意なひとが大量に作ってみんなに分け、平常月にもとき どきそのひとに注文が来るようなことも起こる。 アチェではそういう小さい贈り物でなく、大量の肉料理を作って大勢を招き、豪勢な食事 を振舞うことをmeugangと言う。ミナンでも似たようなことをするが、名称はmalamang だ。 maaf-maafanと呼ばれる、互いに相手を赦し合うあいさつは、相手の機嫌に障ることをし たかもしれない自分を赦してもらい、気がかりを脱して純粋な気持ちで断食が行えるよう にするのを目的にしている。断食明けのイドゥルフィトリでもまた同じことをするのだが、 そちらの方は過去一年間の心の垢を洗い清めて、次の一年間を生まれ変わった気持ちで送 るのが目的であり、その違いがあるようだ。 この一年間の過誤や悪行を一日で清めるリセットボタンのある文化を欺瞞とみるかうらや ましいと見るかはそのひとの人間観世界観次第だろうが、それをネガティブに見る精神は やはりどこかに未成熟の影を抱いているからなのかもしれない。