「ジャカトラ通り(13)」(2018年05月31日)

文明からほど遠いアジア人との混血男で、しかも自らをプリブミとして生活していながら、
父親が築いた財力で世の中に大きな顔を見せ、VOCに反抗している人間に対して、虫酸
の走るオランダ人高官がいたことを誰も否定はできないだろう。そしてさらに大金持ちの
混血プリブミ男からあれこれ簒奪しようとする陰謀が沸き起こってバタヴィア市政上層部
を巻き込んでいけば、結末がどうなるかということは想像がつくに違いない。

このピーテル・エルベルフェルト事件を分析したオランダ人歴史家の中に何人も、文献の
中に不一致がたくさん見つかっていてこの事件は不審な点が多いと表明しているひとたち
がいる。


2008年のジャカルタ国際文学フェスティバルで第二位を受賞したデニー・プラボウォ
(Deny Prabowo)氏の作品"Pieter Akan Mati Hari Ini" (今日ピーテルが死ぬ)では、こ
の事件が仕組まれた冤罪だったのではないだろうかという視点からストーリーが語られて
いる。

また1981年にジャカルタの全国ネットテレビがティオ氏の小説を元にテレビドラマを
制作したあと、人類学者クンチョロニンラ(Koentjaraningrat)博士が当時の最高参事会副
議長だったレイカート・ヒーレ(Reijkert Heere)の報告書をもとに内容が史実に異なる点
を批判したことについてプラムディア・アナンタ・トゥル氏は、ティオ氏の作品に創造さ
れた人物が登場したかもしれないにせよ、数百年も昔の出来事について、ひとびとの記憶
が途絶えていた時期もあり、この事件の内容が本当は何であったのかということは歴史的
に確定したことがない、とコメントしている。

デニー・プラボウォ氏はそのレイカート・ヒーレこそが1718年から1725年まで第
20代VOC総督を務めたヘンドリック・スワルデクロン (Hendrick Zwaardecroon)を後
ろ盾に使ってピーテルを破滅させた首謀者ではないかという見方を示している。


1722年4月8日、最高参事会がピーテルとその一味の罪状と処刑を定めた。裁判所に
委ねられなかったのはなぜなのだろうか?[ 続く ]