「ジャカトラ通り(終)」(2018年06月06日)

その恥の壁は日本軍が占領するまで、ピーテルの屋敷の表を塞いでいた。そして日本軍は
その奇妙な記念碑を問答無用で破壊した。曰く因縁が何であれ、オランダ人が残したもの
はすべてぶち壊すのが方針だったのかもしれない。

1985年にその壁のレプリカは串刺しの頭蓋骨付きで碑文博物館に再現されたので、い
つでも見に行くことができる。


今のジャヤカルタ通りR.W.06にラデン・アテン・カルタドリヤの墓所が設けられている。
縁起譚によれば、ばらばらにされた遺体はプリブミたちが集めてどこかの一角に埋めたそ
うだ。

ピーテルの遺体だけは判決通りに野鳥に啄ませようとして、役人の目が厳しく光っていた
のかもしれない。だからピーテルには、カルタドリヤのようなことが起こらなかったらし
い。

ピーテル邸の表を塞いだ恥の壁をピーテルの墓と称している記事があれこれ見つかるのだ
が、頭蓋骨(あるいは本人のさらし首)を上に飾った碑を墓と呼ぶ感覚はわれわれにピン
と来ないものだ。


カルタドリヤの墓所には、土の付着した大きな石が数個、白い布に包まれて置かれている
だけだ。ここへ参詣に来るひとたちも決して少なくないという話だった。[ 完 ]