「サリナ」(2018年06月08日)

スカルノ初代大統領の発案でサリナデパートが中央ジャカルタ市タムリン通り11番地に
作られた。建設工事は1962年8月17日に開始されて、四年がかりで完成し、196
6年8月15日に公式オープンした。設計者はデンマーク人アベル・ソーンスン (Abel 
Sorensen)だった。

コンパス紙の記事には上の年号が書かれているが、ネット上には着工と開業が各1年遅い
ものも見られることをお断りしておこう。

大統領はインドネシアの物産を世界に展示するショーケースを欲し、日本からの賠償金で
この15階建てのデパートを作った。費用は当時の金額で5百億ルピアだった。

サリナという名称の由来は、スカルノの家に寄宿して家事手伝いをしながら幼いスカルノ
を養育した女性の名前だ。スカルノは自分の性格がかの女によって形成されたと考えてお
り、最大級の尊敬をかの女に抱いていたようだ。

Sarinah の綴りの最後の/h/は有気音のシンボルであり、最後に息を洩らして発音を終え
ることを意味している。日本語ローマ字規則の長音のシンボルでないので、インドネシア
語を話そうとする日本人は要注意だ。

コンパス紙が紹介しているサリナデパートの歴史は、次のようになっている。
1972年 バティックトレードセンターがオープン
1980年3月10日 サリナビル北側のワヒッハシム(KH Wahid Hasyim)通りを超えて
その北側ブロックにあるジャカルタシアターに連絡する陸橋が崩落
1980年7月18日 2階で火事
1984年11月11日 最大級の火災で9フロアーを焼失
1986年10月 ニューヨーク支店がオープン、1年で閉店
1990年10月 ネルソン・マンデラ氏が来訪
1995年12月 民芸品生産者や協同組合との提携開始

サリナデパートの使命はインドネシア物産の普及振興にあり、更に庶民向けデパートとい
う目標に邁進している。都内の諸所にある最新鋭モールに比較すればまったく垢抜けしな
いこのデパートではあるが、販売価格はたいへんリーズナブルで、しかも展示されている
民芸品の種類も幅広い。
ジャカルタで民芸品の品定めをする場合には、忘れてならない場所のひとつだろう。