「南往き街道(4)」(2018年06月12日)

ボゴール市を代表するアイコンのひとつに、ボゴール植物園がある。ボゴール植物園は最
初、ファン・イムホフ総督の別荘の庭園として作られたものだ。ジャワ島がイギリスに占
領されていた時代、英国東インド会社ジャワ副総督となったトーマス・スタンフォード・
ラフルズ(Thomas Stamford Raffles)が庭園を植物園にするよう命じ、植物学専門家のケ
ント(William Kent)がロンドンのキューガーデンに似せて整備した。

実はパジャジャラン王国のジャヤデワタ王の時代に、サミダ(samida)と呼ばれる広大な森
林が造園されていたことがバトゥトゥリス碑文に記されており、サミダは現在のボゴール
植物園の土地をその中に包含していたようだ。そういう地縁はあったとしても、ボゴール
植物園はあくまでもヨーロッパ文化の賜物と言うことができるだろう。


ボゴール植物園には妻のオリヴィア・マリアンヌOlivia Mariamneの死を悼んでラフルズ
が設けた追悼碑がある。ガゼボの中央に立てられた碑文には愛する妻を偲ぶ英語の詩が記
されている。

オリヴィアの死は1814年11月26日で、バタヴィアでマラリアに罹患した妻をラフ
ルズはバイテンゾルフに移して療養させたが、その甲斐なく没した。ボゴールの追悼碑は
オリヴィアの墓でなく、また植物園内にもオランダ人墓地があるものの、オリヴィアが葬
られたのはバタヴィアのオランダ人墓地のひとつだった。現在の碑文博物館がそれで、か
の女の墓は今もそこにある。

植物園内にあるオランダ人墓地は小さな規模で、あまり目立たない場所にある。わたしは
頻繁にボゴール植物園をピクニックに訪れてその中を歩き回るのを好んだ時期があり、あ
るとき行方定めずにあまりひとのいない方向へ進んで行くと、竹やぶのはずれに墓地を見
出した。来園者もほとんどその存在を知らず、地元民は墓地を畏怖の対象に見なしている
ことから近寄るひとも少なかったためだろう、ひとの姿を見かけないその場所は実に落ち
着いて平穏な雰囲気が漂っていたことを記憶している。

墓碑の中でもっとも古い年号のものは1784年で、オランダ人薬種商コルネリス・ポッ
トマンス(Cornelis Potmans)のものだそうだ。反対に一番新しいのは1994年のオラン
ダ人AJGHコスタマンス博士(Dr. Andre Josef Guillaume Henry Kostermans)のもので、
かれは植物学研究のためにインドネシアに帰化してボゴール植物園を生涯研究の場にした
らしい。

他にもジャネット・アントワネット・ピーターマーツ(Jeannette Antoinette Pietermaat)、
エリザベート・シャルロット・ヴァンソン(Elisabeth Charlotte Vincent)、ハインリッヒ・
クール(Heinrich Kuhl)、ファン・ハッセルト(J.C. Van Hasselt)、ファン・デン・ボッシュ
(E.B Van Den Bosch)、アリ・プリンス(Ary Prins)、ド・イーレンス(D.J. de Eerens)など
の名前を種々の墓碑に見出すことができる。[ 続く ]