「分かち合い(前)」(2018年06月12日)

古代に生まれた宗教はすべて、原始共産主義を基本観念に据えていた。ヒトという種が群
れをなしてまだ数少ない個体のコミュニティを作り、猛獣を含む大自然の脅威に対抗して
生き延びようとするとき、もっとも合理的な基本観念をかれらがそこに見出したことは疑
いもない。

宗教というのは本来的に、種の維持保存と発展を究極目標に置いたコミュニティ社会の運
営要綱であったということを、大勢の現代人は忘れている。個人の精神的完成を目指す宗
教(あるいは信仰)というのは、副次的に産出された側面が母屋を乗っ取った形で構築さ
れてしまったものであって、コミュニティ社会を律する運営要綱としての宗教を忘却して
しまった日本人には、宗教というものの全体像がよく見えていないにちがいない。その状
況は明らかに歴史的に画策されたものだったように、わたしには思われる。


ともあれ、古代宗教の精神と形をもっとも大量に現代に伝えていると思われるイスラム教
では、ラマダン月にイスラムコミュニティ社会であるウンマーにとっての規律を構成員が
実践するように奨励される。

その日の断食終了が日没時に告知されると、ウンマーでは一斉にブカプアサと呼ばれる軽
い飲食がなされる。そこに分かち合いという社会性が持ち込まれて、そのとき路上や公共
の場所にいるひとたちに、タッジル(takjil = 軽いスナック)が振舞われたり、あるいは知
人・隣人・同僚たちが集まってパーティ風に一緒にブカプアサを行うことも盛んだ。それ
らは「分かち合い」という観念の一部をなしているのである。

断食の義務はパーソナルなウエイトがかなりを占めているものの、そういった社会性がそ
こに組み合わされることで、ウンマーとしてのトータルな断食の実践という形が出来上が
るにちがいない。

喜捨が義務なのは、原始共産主義が基盤に置かれているからだし、得られた糧の分かち合
いも同じベースに乗ったものだ。この分かち合いという行為について、コンパス紙R&D
が2018年5月26〜27日に17歳以上のジャボデタベッ住民446人に電話インタ
ビューによる調査を行った。

[A].ラマダン月にもっともふさわしい「分かち合い」とは何か?
1.他の人々と一緒にブカプアサを行うような、特定の場所で一緒に飲食物を頂いたり、
あるいは振舞ったりすること 55.8%
2.モスクや社会活動団体に寄付金を提供すること 29.8%
3.モスクや社会団体に必要な物品を寄贈すること 12.2%
4.慰安・娯楽 0.4%

[B].居所周辺でどれほど頻繁に「分かち合い」行為が行われているのを見聞している
か?
1.絶え間なし 57.0%
2.あまりない 26.5%
3.見聞ゼロ  14.1%

[C].ブカプアサのためにタッジルを分配する場所はどこが適切か?
1.モスクや社会団体建物 77.8%
2.十字路や道路脇 14.6%
3.住宅地区 0.7%

[D].タッジルを路上で分配することで道路の交通状況に悪影響がもたらされる心配はな
いか?
1.心配あり 50.4%
2.心配なし 47.1%
[ 続く ]