「分かち合い(後)」(2018年06月13日)

その分かち合いを夜中に路上で行うひとびとが出現するようになって久しい。イスラム教
徒、つまりウンマー構成員、にとっての義務である断食とは、日の出から日没まで飲食せ
ず、アッラーが戒めている諸悪を遠ざけて、あたかも日本人にとっての精進潔斎を実践す
るような趣を見せてくれるものだ。

飲食に関して言うなら、基本的に夜はいつ何を食べようが自由になっている。食事につい
ては、夜明けの断食再開の前に一度食事を摂るのが普通だ。その食事をサウル(sahur)と
言う。

断食に対するもっとも基本的な姿勢としてウンマー構成員は、この断食を他の11カ月と
同じような活動をして乗り越えなければならない。勤め人が断食だから体力がないという
理由で仕事を休むことは許されないのである。その体力維持の手段がサウルなのだ。夜中
についつい寝過ごしてサウルが摂れなくとも、そんなことで弱音を吐く人間は周囲から白
眼視されるのがオチになっている。

食べ盛りの若者たちにとって眠りよりも食事となる傾向は言うまでもなく、そんなかれら
が家の中よりも外に出て仲間同士つるむようになるのも明白だ。そんなかれらに向けて、
分かち合いが行われる。いつだれが言い始めたのかわからないが、それがサウルオンザロ
ード(sahur on the road = SOTR)と呼ばれるようになって何年もが経過した。このSOTR
がまたまた若者たちの暴力行為の機会を提供することになった。

強者が所属コミュニティから称賛され、高く評価され、人間としての高い価値を認められ
る社会はたくさんある。強者として認められるためには、勝者になるのが最短の方法だ。
人間が競い合って勝敗を決める場は限りなくあるが、物理的パワーの世界がそのメインを
なしているのはまだ若い社会だ。成熟するにつれて知的パワーの世界における勝敗の場が
広がり、更に成熟すれば強者勝者にこだわる愚かしさが社会の価値観を支配するようにな
っていく。

そんな若さ真っただ中の社会で、男たちは自分の価値を求めて物理的パワーを競い合おう
とする。勝たなければ勝者になれず、ひいては強者と認められずに有象無象のひとりでい
るしかないのだから。この精神性は昔の剣客剣豪の時代に符合しているようにわたしには
思われる。

そういう精神を持つ文化の中で若者たちは(いや気の若いオッサンたちも必ず混じってい
るのだが)、オラが町と隣町の間でタウラン(集団喧嘩)し、あるいは二輪ギャングを編
成して近隣の町々へ進攻し、だれかを血祭にあげようとする。夜は人間をワイルドにする
のである。

毎年SOTRを口実にして若者たちが徒党を組み、タウランや二輪ギャングとなって通行
者に集団暴行を行った事件は必ず発生している。

男を挙げることに血をうずかせている若者たちへのチャンスの分かち合いは、文化が成熟
してくれることよりほかに、対処のしようがあるのだろうか?[ 完 ]