「南往き街道(9)」(2018年06月20日)

ホテルサラッの裏のエリアはグドンサワ(Gedong Sawah)という地名になっている。これ
は昔水田地区だったところにオランダ人がお屋敷(巨大な建物)を建てたことに由来して
いるようだ。

ホテルサラッの南隣は現在ボゴール市庁舎として?使われているが、その建物は1868年
にクラブハウス(De Societeit)として建てられた。1926年ごろには、当時の?植民地ラ
イフスタイルのヨーロッパ化がもたらした影響だろうか、お仕着せの社交場は人気が落ち
たらしく、既にオランダ人がバイテンゾルフ市庁舎として使い始めている。

1949年にこの建物を移管されたインドネシア共和国は、ボゴール・チアンジュル・ス
カブミを管区とする第061軍管区スルヤクンチャナ旅団司令部としてそこを使い、19
71年にボゴール市庁舎となって今日に至っている。


一方、道路をはさんで東側にあるのが、1856年から1858年にかけて完成したと見
られている古い建物だ。平屋の多い当時の建物の中で二階建ての豪壮な威容を誇っている
この建物は最初、バイテンゾルフ副レシデン公邸として建てられた。一階が執務場、二階
が寝室になっている。寝室が多数設けられたのは、それほど多くの客人を宿泊させる必要
性があったということなのだろう。二階の寝室のベランダからはバイテンゾルフ宮殿の表
庭が眺められ、宿泊者は滴るような緑を目にしながら茶やコーヒーを味わっていたにちが
いない。

総督がバタヴィアのレイスウエイクにある官邸を離れてバイテンゾルフ宮殿に執務場所を
移すようになった時、離れていては仕事にならない総督官房(Algemene Secretarie)もバ
イテンゾルフについてきた。一時期、総督官房がこの建物を使ったこともあるそうだ。現
在ここは西ジャワ州庁の役所のひとつとして使われている。

その更に東側は現在、カソリック系私立教育機関レジナパチス(Regina Pacis)が運営する
総合学院になっている。この学院は幼稚園から小学校・中学校・高校までの全レベルを擁
して、宗教を基盤に置いた一貫教育を実施している。

学院のオープンは1948年で、最初は幼稚園と小中学校でスタートし、高校は1955
年に開設された。中高は女子生徒だけを入学させていたが、中学は1957年、高校は1
962年から男女共学にしたそうだ。

バタヴィアからバイテンゾルフに向かってやってくる道路がバイテンゾルフ宮殿の真正面
に達すると、道路は左右に流れて宮殿と植物園を包む環状道路になる。宮殿に入って行く
者は広大な庭園の中の道を更に5百メートル近く進んでやっと宮殿主館の玄関にたどり着
くという仕儀になっている。

そのバタヴィアとバイテンゾルフを結ぶ街道の南端西側にあるレジナパチス学院敷地内に
は百年を越える歴史を持つ礼拝堂(kapel)がある。ジュアンダ通り沿いで北から西にかけて
の行政地区の一部分として、そこが19世紀後半に豪壮な建物が立ち並んだ中の一コマで
あったことは容易に想像がつく。

学院が建設される前の日本軍政期にはその場所が俘虜収容所に使われていたそうだから、
建物があり、また地区一帯が明瞭に外部と仕切られる形になっていたことは間違いないだ
ろう。[ 続く ]