「南往き街道(12)」(2018年06月25日)

1872年に東インド植民地の国有鉄道会社(Staatsspoorwagen)がバタヴィアからバイ
テンゾルフまで鉄道線路を延長させて73年から運行を開始した。鉄道が動くようになっ
てターミナルでのひとの往来が活発になると、バイテンゾルフの中心を成している宮殿と
植物園から鉄道駅を越えて西や北西に向かう開発が進展するようになる。

1881年に駅舎が完成すると、鉄道線路は更に南へと伸びて行った。スカブミ〜チアン
ジュルを経てバンドンに向かう建設工事がスタートする。

1927年にはバタヴィア内の鉄道網電化が完了し、続いてバイテンゾルフに向けての電
化工事が続けられ、バイテンゾルフに電車がやってきたのは1930年だった。

バイテンゾルフ駅舎はジュアンダ通りからまっすぐ西に4百メートルの位置にあり、駅舎
の表にはバンタマーウエフに沿ってウィルヘルミナパークが作られた。この二階建ての駅
舎はたいへん頑丈な作りになっていて、建設当初の状態がほとんどそのまま維持されて
る。

ただし二階は従業員が怖がるため、使われていない。駅長の話によれば、従業員は二階が
不気味で怖いために執務するのを嫌がる者が多かったことから、二階は使われなくなって
しまったそうだ。駅長はかつて、二階で執務中に部下に憑依が起こったことを何度か体験
しているという話だった。


ボゴールのパリは鉄道開通から45年後に作られた。1キロも離れていない場所がそれほ
ど長期にわたって自然のまま残されていたという時代だ。今にして思えば、それが古き良
き時代のありさまだったということなのだろう。そこからはサラッ山の威容が存分に目を
楽しませてくれ、また昔は幅広く豊かな水量を誇っていたチドゥピッ川の水音が終日、通
奏低音のように住民の耳の奥で鳴っていたそうだ。

既に何世代にもわたって代替わりしてきたパリ地区で、住民が改装や建替えを行ったとこ
ろも少なくないものの、インディ様式建築の面影が依然として濃いエリアもある。幾分の
エキゾチシズムを汲むことはまだまだできるに違いない。[ 続く ]