「南往き街道(15)」(2018年06月28日) 1808年にダンデルス総督が作らせた大郵便道路 (De Grote Postweg) もメステルから バイテンゾルフを経由してチアウィに向かうが、郵便物受け渡しの関係からだろう、途中 のルートは異なっている。言うまでもなく、郵便という言葉が付けられてあるものの、公 的文書や郵便物運送とは別に軍隊移動の迅速化が建設目的の中に含められていたのは疑い ようがない。 大郵便道路に関して言うなら、チビノンからバイテンゾルフを通ってチアウィに至るルー トはバイテンゾルフ別荘に向けて作られた昔の街道にダブっている印象がある。つまりダ ンデルスはチアウィからチアンジュルに向けてグデパンラゴ山系の峰を突っ切るルートを 作らせたとき、バタヴィア通りの端で街道を分岐させ、植物園東縁をかすめてチアウィに 向かう道路を作ったのではないかというのがこの推測だ。 メステルから伸びて来た街道は植物園の東側で植物園とボゴール農大バラナンシアン(Ba- ranangsiang)キャンパスにはさまれたパジャジャラン通りとして市内を通過した後、ラヤ タジュル(Raya Tajur)通りに名を変えてチアウィ(Ciawi)の町に向かう。チアウィの町から はスカブミ街道(Jl Raya Sukabumi)として、グデパンラゴ山系を迂回しながらスカブミの 町を目指すのである。 記録によれば、バイテンゾルフからスカブミに至る街道が作られたのは1813年のこと で、それはつまりトーマス・スタンフォード・ラフルズ統治下の時代だった。チアウィか らグデ・パンラゴ(Gede Pangrango)山系の西を南下してチャリギン(Caringin)〜チゴンボ ン(Cigombong)を越え、山麓を下りきると東に向きを変えて山系南麓にあるスカブミ(Su- kabumi)の町を目指すのである。そして街道は更に山系の東側にあるチアンジュル(Cian- jur)へと伸びて行った。 チアウィ〜チアンジュル間は山系を迂回すれば1百キロに上るが、プンチャッを突っ切れ ば50キロ強で着く。ダンデルスによる大郵便道路建設はジャワ島に画期的な交通のスピ ードアップをもたらした。この時期バタヴィア〜バイテンゾルフは5〜6時間の距離とな り、バイテンゾルフ〜プンチャッは4時間半で踏破できるようになる。 街道には中継所が置かれて、馬車や騎馬で通過するひとびとに便宜を提供した。距離の指 標としてパアル(paal)と呼ばれる杭が打たれ、杭と杭の間が1パアルで、平地では6パア ル、山地では5パアルおきが中継所の標準距離とされた。1パアルは1.5キロだ。 [ 続く ]