「インドネシア語化の原則」(2018年07月03日) ライター: 言語オブザーバー、インドネシア大学名誉教授、アントン・ムリオノ ソース: 2011年4月30日付けコンパス紙 "Kumpul Kerbau" 外国語の単語が取り込まれるプロセスは、昔と今で明白な違いがある。昔は耳に聞こえた 音にもっとも近いと考えられるインドネシア語の表記法で書かれた。たとえばオランダ語 のchaffeurがsopirと書かれ、winkelがbengkelとなり、luitenantはletnanと記された。 わたしの生徒が行った調査では、第二次大戦初期までにオランダ語から取り込まれたイン ドネシア語はおよそ4千語だった。それ以外にも、何世紀にもわたってサンスクリット・ アラブ・中国・ポルトガル・タミール・ペルシャなどの諸語から単語が取り込まれた。現 代ムラユ語とインドネシア語はアメリカ・イギリス・オーストラリア様式の英語をたくさ ん取り込んでいる。 インドネシア民族は現在、文字および情報通信文明に突入しているのであり、インドネシ ア人はどこに住んでいようが外来語を元の文字綴りと同じまま使用することが望まれてい る。発音については種族の違いや地方語における差異があって構わない。 たとえばオランダ語や英語のバスを例にとるなら、メダンとバンドンとヨグヤでそれぞれ の地方語に影響された発音になったとしても構わない。最近ではbuswayという形が紹介 されて、頭のbusは英語式発音になっているのだが、この言葉に共通性と標準性を持たせ るために、その綴りはbusとしているのである。 次の原則が1972年以来使われている。外国語がインドネシア語に取り込まれる際には 表記がインドネシア化されて取り入れられのであり、その外国語の発音をインドネシア式 綴りにして取り入れるのではない。英語managementの綴りはmanajemenに変えられた。 その同じ綴りに対するヨグヤ住民とパダン住民の発音は同一でない。罰金や制裁がないか ぎり、われわれは法則や決まりに従う義務はないと思っているのだから。 まだインドネシア語に取り込まれたわけではないが、英語basementはbasemen (ba-se- men) となるだろう。aransemen, klasemen, konsumenなどの語が既に存在しているのだ。 basementのインドネシア語はruang bawah tanah略してrubanahだ。 この原則はヌサンタラの地方語をインドネシア語に取り込む際にも適用されるべきだ。 kumpul keboという表現は国語に加えるに際してkumpul kerbauとなった。家の中で共同 生活するのは、ジャワのkerbauだけではないのだから。 反抗し、命令に逆らう者はmbaleloするのでなく、membalelaするということなのだ。イ ンドネシア語の表現力が低レベルだという偏見を持たないひとは、1952年に出された プルワダルミンタ(Poerwadarminta)辞典の中にmembalelaのエントリーを見出すに違い ない。 英語to bullyやbullyingに該当するインドネシア語として、menakuti atau menyakiti orang yang lebih lemahを語義とするmerisakを使うことができるし、若者文化を表現する英語to hang outにはmenghabiskan waktu dengan duduk-duduk tanpa melaksanakan sesuatu yang bermanfaatを語義とするberl?pakが使える。 われわれはインドネシア語の単語をよく知らない。最新報告によれば、国立の小学校の5 0%、中学校の35%が蔵書を持たず、教室での授業に辞書がまったく使われていないの だから。