「南往き街道(31)」(2018年07月20日)

昔から、バタヴィアのブタウィ人カンプンにはたいていひとりから数人のウラマ(ulama)
とジャゴアン(jagoan)がいた。ウラマは住民の暮らしに宗教の教えをもたらして部落内で
の生活規範や徳目を指導する役割を担い、ジャゴアンは戦闘能力の高い人間が就いて武に
よる部落内の秩序維持と外敵から部落を防衛する機能を担った。

ジャゴアンというのは雄鶏を意味するジャゴ(jago)の派生語で、喧嘩に優れた猛者、プン
チャッシラッの使い手、三牲(福建語でsamseng、gangster, mafia, yakuza などの類語と
してムラユ語に入っている)などの語義になっている。日本文化ではニワトリそのものに
男の美徳をほとんど見出していないようだが、闘鶏や軍鶏、凄烈に時(鬨)を告げる鳴き
声などに関連してコックを雄鶏と人間男性を結びつけるものとして扱っている文化もある。
インドネシアのこの観念は果たしてヨーロッパからもたらされたものだったのかどうか?

もうひとつ、インドネシア語の接尾辞-anには名詞に付いてそれによく似たもどきのもの
という意味をもたらす機能があることから、ひとによっては男の中の男という意味でジャ
ゴを使い、それに劣る見てくれだけの男をジャゴアンと呼ぶケースもあるのだが、わたし
はジャゴはあくまでも雄鶏であって雄鶏のような男だからジャゴアンと呼ばれるというロ
ジックに従おうと思うので、ジャゴアンの語を統一的に使いたい。

そうなると英雄も卑怯者もみんなジャゴアンになってしまうが、これは仕方ない。プンチ
ャッシラッの使い手なら一様にジャゴアンと呼ぶことにする。


もちろんジャゴアンも部落民のひとりなのだから、ウラマの教えに服するのは当然のこと
である。文武に長けたジャゴアンは信仰心も篤く、徳をもって敵を制する英傑としてブタ
ウィ全域にその名を知られた人物も多数出現した。もちろん中には喧嘩が強いだけで人格
は?という人間も少なくなかった。

バン・サミウンに頼まれてニャイ・ダシマを殺害したバン・ポアサはカンプンクウィタン
のジャゴアンだった。かれのダシマ殺害論理は異教徒に身を売った倫理に背くムスリマを
粛清するのがイスラムの善であるというものの見方であり、その粛清を自分が実行するこ
とで徳が上積みされるということだったようだ。その情念は一般ムスリム界に受け入れら
れやすかったと見えて、インドネシア民衆の民族意識高揚期にかれは民族主義英雄のひと
りに祭り上げられている。

カンプンにおけるそのような体制は1950年代ごろまで続けられた。60年代以降、都
市建設のためのカンプン移転が始まるようになって、土着の伝統的な体制が徐々に変化し
ていくようになる。

ニャイダシマの物語はこちらをご参照ください。
http://indojoho.ciao.jp/archives/library010.html
[ 続く ]