「南往き街道(36)」(2018年07月27日)

1916年4月5日、レディ・ロリンソンの住むチリリタンのカントリーハウスで祭が行
われ、夜っぴてトペン舞踊が演じられ、チェンテンたちは博打に興じた。その日、ントン
・グンドゥッ率いるチョンデッ自警団はカントリーハウスを取り囲んだが、何事も起こら
ずに夜は更けて行った。

この日夕刻、フルンフェルドの家に住む地主アメント家当主の自動車が北西にある橋を渡
っていたとき、投石を受けた。

夜半23時ごろになって、ントン・グンドゥッは邸内にいるトペン舞踊者と楽団に外から
終了を呼びかけた。邸内にいた地元民らは物売りたちも含めて、ジャゴアンの命に従って
家に帰って行った。当時は一般に、踊り子というものは売春婦を兼ねていた。

邸内のひとびとは祭を妨害されて腹を立てたが、チェンテンたちが外へ出て騒動を起こす
のはまずいと考えて自粛させ、翌日官憲に訴えて妨害者を逮捕させることにした。自警団
もチリリタンの家に対する襲撃は行わず、その夜は何事もなしに解散した。

レディ・ロリンソンからの訴えを受けた郡長はパサルボ(Pasar Rebo)の副郡長に指令を
発した。「ントン・グンドゥッを即座にメステルに出頭させよ。」


副郡長と警察署長が警官隊を連れてバトゥアンパルのントン・グンドゥッの家を訪れた。
かれをメステルに連行しなければならないのだ。祭を妨害した理由を問いただすとかれは、
「宗教の教えだ。」と答えただけだったが、かれの意図はハラムである賭博と売春をやめ
させることにあったようだ。いやそれよりも、かれは地主やオランダ人支配階層に嫌がら
せを行って、闘争気分をウオームアップさせていたように見える。

副郡長と警察署長がントン・グンドゥッや自警団の首脳らと口論していると、ントン・グ
ンドゥッは突然クリスを抜き放って足を踏み鳴らし、「われは大地を踏み、大地は海とな
る。副郡長と警察署長はわれの信奉者であり、われは汝らを保護するであろう。」と述べ
た。それを合図にして、物陰から自警団メンバーが手に手に武器を持って飛び出してきた。
副郡長と警察署長は拘禁された。

拘禁されたふたりはプリブミだったように思われる。ントン・グンドゥッはふたりに対し、
民衆が警察を嫌うのは警察が異教徒の手伝いをして民衆の家を差し押さえたり、焼いたり
しているからだ、と述べた。更には、異教徒を主人に仰ぐ者は殺されなければならないと
語り、そのロジックが既述の「信奉者になるなら保護される」という言葉につながってい
く。[ 続く ]