「南往き街道(37)」(2018年07月30日)

そのロジックは最近のジャカルタ都知事選でも繰り返された。アホッ氏の華人という要素
よりも、かれがキリスト教徒であるという要素のほうが反アホッキャンペーンに効果的に
使われたのである。華人嫌悪という精神性よりも、異教徒を主人(都知事に選ぼうとする
こと)に持つムスリムは背教の徒であるという論理のほうがはるかに選挙民自身のアイデ
ンティティに突き刺さってくることがらになるのは言うまでもあるまい。


自警団の中はジハードの気分に満ちていた。指導者ントン・グンドゥッは自ら王を名乗り、
「われはジャワの救世主として待ち望まれている神の使いであり、この後ジャワを征服に
やって来る日本人と戦って、かれらを海の中に投げ飛ばす。」と宣言して、民衆の喝采を
浴びている。

貧困であれ、圧制であれ、イデオロギーであれ、ゼノフォビアであれ、インドネシアにか
つて起こった民衆蜂起のたいていはイスラムのジハード観念やイスラム風に変形された救
世主思想が結びつけられている。普段はただの卑屈な農民が武器を手にして殺すか殺され
るかという場に自ら進んで臨む意欲を持つとき、聖戦意識と死後の極楽の約束は大きな駆
動力となった。それとまったく同じ根は中世の日本統一事業の中に出現しているとわたし
は理解している。

以後の日本の為政者はその要素の再出現を徹底的に抑制し、宗教を枠組みに持つ民衆の生
活共同体が作られないように努めた。現代日本人の宗教観はそういう歴史の上に培養され
たものであり、その観点からウンマーというイスラム社会を眺めた場合、イスラムという
宗教のあり方を支えている本質は日本人の目にまず形をとって映ることがないだろうとわ
たしは見ている。

宗教を枠組みに持つ生活共同体が日本に出現したとき、それに対する嫌悪感情や排斥意識
が社会の大意として起き上がるのは、そういうもののない社会が長期に渡って築き上げら
れ、そのあり方が自然なものという共通認識の形で伝統的に伝えられてきたことによって
いる。その意味で為政者の国内統治における宗教の扱いは成功したと言えるのだろうが、
反対に宗教というものをそういうパースペクティブでしか見られなくなった日本人は、国
外に存在して勢力を張っている宗教というものへの理解がまったく偏ったものになってし
まうという宿命の中にいることを忘れてはなるまい。[ 続く ]