「南往き街道(40)」(2018年08月02日) グドンの南はチジャントゥン(Cijantung)だ。この地名もチリウン川の支流から取られた もので、スンダ語のジャントゥンはバナナの花を意味しているそうだが、チジャントゥン 川とバナナの花が関わっているのかいないのかはわからない。 マタラムのスルタン・アグンによるバタヴィア進攻からかなりの歳月が流れた1657年 11月4日、バタヴィアのカスティルから内陸部に向かう探検隊が出発した。フレデリッ ク・ミュラー(Frederick H. Muller)大尉を隊長とする探検隊は、白人兵士14名と15人 のマーダイカー(解放奴隷)で編成され、10人のプリブミが道案内に就いた。 この内陸部に向かったバタヴィア最初の探検隊は、内陸部にマタラム人の集団が住み着い ていることや、またバンテン人がプリアガン地方への往来に使っている道がチリウン川沿 いにあるといった情報を確認するために現場を実地検分することを目的にしていた。 一行はジャングルの道なき道を押し渡り、苦労の末に三日かかってチジャントゥンにたど り着いた。一行はそこでプラジャワンサ(Prajawngsa)と名乗る部落長が統治する12戸か ら成る集落を発見した。 メステルコルネリスからチジャントゥンへは12キロほどの距離であり、バタヴィアのカ スティルからでも25キロほどしかないが、その行程に三日も要したというのは、いくら カンプンムラユが開拓されはじめたとはいえ、その更に南側はいかに人間の進入を寄せ付 けないジャングルであったかということが推測される。 チジャントゥンを更に下れば、プカヨン(Pekayon、植民地時代の綴りはFekajong)そして チブブル(Cibubur、植民地時代の綴りはTjiboeboer)と続く。 チブブルという地区名称はチブブル村に由来している。広大な土地をオランダ人地主が自 領にしたとき、そこにあった村の名称を領域名にしたようだ。ムンジュル(Munjul、植民 地時代の綴りはMoendjoel)村という別称で呼ばれることもあったらしい。行政管轄はメ ステル・コルネリスに含まれ、バタヴィアとバイテンゾルフの中間地帯に入っていた。 [ 続く ]