「レイプ被害者少女に入獄判決(後)」(2018年08月03日) ともあれ、それらのロジックに従うなら、人間になった胎児を殺せば殺人になるが、それ 以前なら肉塊の処理で終わってしまう、という判断が生じることになる。根拠が何であれ、 40日というのはイスラム界が持つ文化的観念に影響されたものであるようにわたしには 思われる。 最高裁はこの騒ぎに対して、この事件はレープ問題と堕胎問題のふたつがあり、レープ問 題は別にして妹は堕胎行為を行ったために有罪判決を受けたのであり、最高裁はムアラブ リアン地裁の判決を支持するとの声明を出した。しかし世論の非難は鳴りやまない。 妹の堕胎行為をレープ問題と切り離すことはできないというのが女性児童人権保護界の主 張なのである。妹がレープの被害者になったことが妹のやむない堕胎行為を促したのであ り、妹はあくまでもレープ被害者なのだからリハビリ治療を与えられこそすれ、それを犯 罪者として入獄させるなど、もはや語るに落ちたも同然だ、という声がますます強さを増 している。 議論は更に広がって、保健省までがこの議論の輪の中に引きずり出された。少女に対する レープ事件は全国で日常茶飯事に行われている。中にはたった一度の行為でも妊娠する被 害者がいる。その妊娠に対する処置のために、保健省はどれほど本腰を入れて対応を取っ ているのか、という火の粉が保健省にふりかかってきたのである。 中学生くらいの少女たちにどれほどの生殖に関する知識があり、おまけに悪い結果が出た 時にどのような対応を取れば法の定めに適うのかといったことが分かる子供がどれほどい るのか?そこをカバーしてやるのが保健省の仕事だ、というのがその主張だ。 だがそれは言うが易いことがらではあるまいか?平均一日当たり20件の性暴力事件がこ の広大な国土で発生していると言われているインドネシアで、レープ被害者少女たちのた めに何人のリハビリとカウンセリングの担当員をどこに配置すればよいのだろうか?そこ に浮き彫りにされているのは、国民文化と行政の間のせめぎ合いにほかならない。 かつて、レープ被害者による堕胎行為という類似の裁判で、まるで正反対の判例が出され ている。レープ被害者になった16歳の少女が、堕胎行為を行った。その裁判で検察公訴 人は8年の入獄を求刑した。ところが判事団は手のひらをかえすかのように、被害者少女 に対するリハビリ処置を命じただけで、一切の刑事罰を差し控えた。 ムアラブリアン地裁の判決を不服として15歳の妹を担ぐ女性児童人権保護界は上訴の態 勢に入っている。[ 完 ]