「南往き街道(49)」(2018年08月20日)

別の資料では、スキピオは連れ子を7人持つバリ人女性を妻にし、その子供たちを全員洗
礼させて養子にしたと述べられている。更に子供たちに姓を与えて伴侶を持たせ、チロド
ンの土地を代々受け継がせたという説明だ。

デポッ(Depok)ランドのオーナーであるコルネリス・シャステレインが1714年に没し
てから、自分の家族や奴隷たちがその土地での生活を確立できるようにいろいろ取り計ら
った故事を思い出させるような話になっている。


更にボゴール街道を一路南にボゴール市を目指して進むと、ついにチビノンにたどり着く。
ここは今、ボゴール県チビノン郡になっている。チビノン(Cibinong)という地名のビノン
というのは樹種の名前で、板根を作る巨木のテトラメレスを指している。

現在ボゴール市(Kota Bogor)を取り巻いているボゴール県(Kabupaten Bogor)の県庁は1
982年までボゴール市内のパナラガン(Panaragan)に置かれていたが、1982年政令
第6号で移転が定められて1990年にチビノンに移ったため、ボゴール県の県庁所在地
はこのチビノンになっている。


VOC時代のチビノン私有地の地主が代々誰だったのかについての記録は見つかっていな
いが、ダンデルス時代に政庁の要職に就いていたスキピオ・イセブランドゥス・エルヴェ
シウス・ファン・リームスデイクがジャワ島のイギリス統治時代が幕を閉じてオランダ植
民地政庁が私有地制度を復活させたときにそこを手に入れた可能性は大きい。

1820年3月にバイテンゾルフ市庁の行った43,319フローリンの地租税での競売
に勝ってチロドンランドをスキピオが手に入れたあと、かれはチビノンランドを売却して
チロドンに引きこもろうとしていたらしい。しかしどうやら、その計画はうまく進まなか
ったようだ。チビノンランドの地主はかれの子孫が継承している。

チビノンと隣接するチロドンのふたつの私有地を、かれは巧みに経営していた。1821
年6月9日付けのバタヴィア新聞に、S. Is. H. リームスデイクの署名でチロドンランドの
邸宅を売りに出す広告が掲載されている。[ 続く ]