「南往き街道(50)」(2018年08月21日)

1827年1月11日にかれは生涯を閉じたが、遺族はかれの遺志を継いで1827年4
月14日にバタヴィア新聞に広告を載せた。売りに出されたのはチビノンランドの南部に
あるナンゲウェル(Nanggewer)地区とチビノンオースト(Tjibinong Oost)地区で、ナンゲ
ウェルはバタヴィアから十時間の距離にある農園エリアであり、チビノンオーストは乾燥
地と草地から成っている土地で、石造りの邸宅のほかに石造りの建物や木造倉庫あるいは
車庫などもあり、更に中国人が働いている倉庫も5軒あって、パサルへのアクセス路も設
けられていると説明されている。

どうやらチビノンランドはチビノンオーストとチビノンウエストに分割されたらしく、当
初はその両方でスキピオの子孫が地主になっていたが、最終的にチビノンオーストは売却
され、チビノンウエストがスキピオの子孫によって代々継承されたようだ。


チビノンの町からボゴール街道を更に南下し、ナンゲウェルを越えてクドゥンハラン郡に
入ると、そこはもうボゴール市だ。ボゴール市街に差し掛かるエリアにまで来れば、この
ボゴール街道の西側にあるデポッ市から下って来る街道、デポッ市のもっと西側にあるボ
ゴール県パルン(Parung)の町から下って来る街道が集まって来る。ボゴール市がどれほど
深くその周辺地域のセンターになってきたかということが、そこから想像できるにちがい
ない。

ボゴール街道がボゴール市内に入ってパジャジャラン通りに名を変え、しばらく南下を続
けると右方向に向けてAヤニ通りが分岐する。Aヤニ通りはヴィッテパアルを経てボゴー
ル宮殿の正面に向かう道だ。

一方、パジャジャラン通りはボゴール植物園の東縁をかすめながら更に南下してタジュル
街道(Jl Raya Tajur)となり、チアウィ(Ciawi)に向かう。チアウィは農業地帯であり、バ
イテンゾルフからスカブミへ南下する街道と、東に向かってグデパンラゴ山系を山越えし
てチアアンジュルに向かうプンチャッ街道の三つが交差する交通の中継地として発展した
町だ。

昔、バンテンが威勢を誇っていた時代に、王宮が領民に命じた藍・綿糸・コーヒーの供出
を嫌がったひとびとが逃亡してこの地区に住み着いたという故事もある。[ 続く ]