「南往き街道(52)」(2018年08月24日)

総面積1.7Haのリド湖は、周辺の湧水や山峡を流れ落ちる水をせき止めて作られた人
造湖だそうだ。せき止めるために分厚いガラス板が使用されたそうで、そのガラス板は今
やタンバカン(Tambakan)部落の下に埋もれているらしい。

このリド湖にヴィラやコテージを建てて観光開発を行ったのはオランダ人アントニウス・
ヨハネス・ルドフィクス・マリア・スウェイスン(Antonius Johanes Ludoficus Maria 
Zwijsen)だ。1898年にオランダで生まれたかれは、1919年に警察高官としてバタ
ヴィアに駐在を命じられた。その勤務に関連して1935年に、かれはスカブミの警察エ
ージェントであるカタリナ・アンナ・ベームスター(Chatharina Anna Beemster)と知り
合い、恋に落ちる。カタリナは女性ながら、警察高官の父親の影響を受けて警察エージェ
ントとして植民地政庁に奉職していたようだ。ふたりは1937年に結婚する。

スウェイスンはバタヴィア駐在勤務を終えるとメンテンのゴンダンディア地区にあるホテ
ルネーデルランドに就職して働き、目途を付けたところでハルモニーにあるホテルを買い
取り、その一方でリド湖にヴィラやコテージを建てた。

リド湖のヴィラやコテージはスウェイスンとカタリナが週末を過ごしたり、親戚や友人知
人を招いてパーティを開いたり、更にはスウェイスン所有ホテルの客に利用させるといっ
た個人用途とビジネス用途を混在させる使われ方がなされたようだ。

1940年にウィルヘルミナ女王が宿泊するためにオラニェリド(Oranje Lido)レストラン
が作られて、盛大な晩餐会が催された。その出来事を期に、リド湖リゾートは一般公開さ
れて、客が自由に訪れることのできる場所になった。

日本軍の進攻でスウェイスンとカタリナの一家はオランダに移った。日本軍はこのリド湖
リゾートを一部破壊したが、破壊しつくされることは防がれたようだ。戦後戻って来たオ
ーナー一家は昔のビジネスを再開させたものの、1953年再びオランダに引き上げざる
を得なくなった。

現在このリド湖リゾートはLido Lakes Resort & Conferenceという名前で営業しているが、
2018年中旬ごろまで改装のために利用できない状態にある。再開が待ち遠しいところ
だ。[ 続く ]