「南往き街道(55)」(2018年08月29日)

月満ちて妻は男児を産んだ。シャハダナの歓びはいかばかりだったろうか。かれはその歓
びを表すために巨大な池を作ろうと考えた。今で言うならダム建設だろう。ありあわせの
道具で、シャハダナとかれに従うひとびとが地面を削り、堤を作り、周辺の湧水を集める
水路を設けた。7日後に出来上がったのがこのシトゥグヌンだったそうだ。

周囲の風景によく調和したこの池がひとびとの噂になり、言うまでもなくオランダ人の耳
にも入る。その池にお尋ね者が関わっているようだという情報を得た地元行政当局は捜査
を開始し、1840年ついにシャハダナを逮捕する。

裁判で絞首刑の判決が下り、処刑はチサアッのアルナルンで行われることになった。とこ
ろがかれは脱獄に成功して行方をくらまし、かれの名を耳にすることは二度となくなった。
遺族によれば、かれが没したのは1841年で、墓は遺族だけが知っている秘密の場所に
置かれているそうだ。


グデ・パンラゴ山系南麓に位置するスカブミは,高原の台地を利用した茶やコーヒーの栽
培、また豊富な水を使った水田などの農業地帯とし発展してきた。涼しい気候と緑あふれ
る美しい自然の風景を好んだオランダ人が農園事業主となってこの地方に住んだのも不思
議はない。

スカブミの語源はスンダ語のsuka bumenだという説がある。インドネシア語に直せば、
suka menetapだそうだ。一方、サンスクリット語由来だとする説はsuka bhumiから来た
と主張している。こちらの方も意味は「楽しむ土地」ということで、それほどの違いはな
い。


最初、スカブミはカディパテンプリアガンに属するグヌンパラン(Gunung Parang)という
名の小さな村でしかなかった。後になって発展したチコレ(Cikole)がその村を呑み込んで
しまう。

1709年に第18代総督アブラハム・ファン・リーベークはチバラグン(Cibalagung)、
チアンジュル、ジョグジョガン(Jogjogan)、ポンドッコポ(Pondok Kopo)、グヌングル
(Gunung Guruh)の視察を行って、コーヒー農園事業の可能性を実地検分している。チバ
ラグンは今のボゴール市内西部にあり、またグヌングルはスカブミの町から4キロほど
南東の地区だ。[ 続く ]