「南往き街道(57)」(2018年08月31日)

オランダ人住民が増えて東インド政庁に住民行政サービスを求めるようになった結果、1
914年4月1日、政庁はスカブミをヘメンテ(市制)に格上げした。

1926年に初代市長ジョルジュ・フランソワ・ランボネ(George Fran?ois Rambonnet)
が就任し、スカブミの町は見違えるように変身する。

バイテンゾルフから鉄道が伸びてきて駅が作られ、クリスチャンとカソリックの教会や大
モスクが建てられ、ウブルッ(Ubrug)に発電所が設けられ、警察学校が開校した。この警
察学校は軍隊の士官学校に相当し、警察組織の幹部を養成する役割を果たした。この学校
は現在もインドネシア共和国国家警察幹部養成学校として機能している。

その過ごしやすい気候のおかげでオランダ人はスカブミにさまざまな学校や教育施設を設
けたことから、学園地区の趣を呈した時代もある。バンドンをはじめとする西ジャワ地方
のさまざまな土地に先駆けて、スカブミはバイテンゾルフに続く第二の文化と産業の中心
地として発展した時代があったということだ。

特に茶の生産は一時期、東インド最大と言われたこともあり、国内は言うに及ばず、国外
にまでスカブミ茶の名前は人口に膾炙した。今でもスカブミ市内からチマング(Cimanggu)
経由でプラブハンラトゥ(Pelabuhan Ratu)に向かうプラブハン通り沿いには、往時林立
した茶葉の加工工場の名残りを見ることができる。


スカブミの町から街道を北へ折れてシリワギ通りをまっすぐ北上していくと、1.5キロ
ほど走ったところでスルヤクンチャナ通りが左から合流してくる。そこからは道路名がス
ラビンタナ(Selabintana)通りと変わり、この道を5キロ半ほど走って行くと、突き当た
りにスラビンタナホテルがある。

周囲は緑蔭に包まれ、ホテルの前は広いグランドになっていて、高原の涼しい空気の下で
自然を満喫することができる。ここにリゾートを作ったのはオランダ人レンネ(AAE Lenne)
で、1900年にホテルが開業した。スカブミ地区在住ヨーロッパ人はもとより、バタヴ
ィアやバイテンゾルフからの行楽客が十分期待できるだけの位置付けを当時のスカブミは
持っていたにちがいない。

1924年にホテルの経営は息子のGEレンネの手に渡され、有能なオランダ人マネージ
ャーに恵まれてスラビンタナレゾートは大いに発展したようだ。

日本軍政期には日本軍が接収し、そこでのホテル業は継続されて、日本人が経営した。イ
ンドネシアの主権承認に伴ってホテルはインドネシア政府に渡されたものの、使われない
まま数年が経過した。1953年に空軍中将がホテルを改装し、1967年に一般公開さ
れた。[ 続く ]