「プレセタン(終)」(2018年09月18日)

Sumut (北スマトラ州)は Semua urusan mesti uang tunai
Amsterdam は Amplas terminal agak dalam
Bandung は Bandar Selamat Ujung
Malpinas は Mandala simpang perumnas
Perancis は Perumahan cicilan Simalingkar
alim は anak liar malam
bola は bondon laris
optimis は ompong tapi manis
pencopet は penggemar corak petak

プレセタンは知的な遊びとして行われるものだが、文化的な機能として次のようなものが
見られる。
-会話内で言及されている対象物を揶揄する
-特定人物や状況に対する皮肉や非難
-為政者や政策の失敗が招いた社会的混乱に向けられた抗議
-良い状況にあるものごとを自慢げに表明する
-社会的に粗野で下卑た表現を世間一般が聞きやすい形に直す
-あからさまに言及すると社会的に不都合をきたす表現を受け入れやすい形にする
-ジョークや娯楽の提供

社会生活の中でコミュニケーションに使われているプレセタンにはポジティブなものもあ
ればネガティブなものもある。だがその良し悪しは時と場合、そして誰が使うのかという
ことがらがそれを決める要因であるように見える。それらの要因を斟酌して適切にプレセ
タンを使うためには、高度なEQが必要とされるにちがいない。かと言って、現実には知
識層ばかりか一般庶民ですら、プレセタンは盛んに使われている。

テレビ番組で新しいプレセタンを数回見聞すれば、世間のあちこちの片隅でそれが使われ
るありさまだ。そしてプレセタンを耳にしたひとは誰であれ、相好を崩す。プレセタンの
せいで怒りや意趣を抱くような例をいまだかつて耳にしたことがない。プレセタンがいか
にインドネシア社会に受け入れられ、溶け込んでいるかをそれが示していると言えるにち
がいない。この論者はそう記している。[ 完 ]