「牛に引かれて英語の勉強」(2018年09月20日)

1980年代ごろまで、インドネシアの肉牛飼育は農家を主体にした家庭養牛が普通だっ
た。これは資産保有および投資として行われるもので、牛肉市場流通の一環という考えで
行われるケースは稀だったようだ。

養牛者にとっては、仔牛を買って来て育て、何年もかけて大きくなったら売って、仔牛取
得に支出した数倍の金を手に入れるという投資活動であるとともに、そういう資産を持つ
ことで緊急の支出に対処できるというふたつのメリットを狙った経済活動だ。

バリ島では村落部へ行くと、いまだにその活動を営む家庭がある。わたしの住んでいる村
でも、農家でない勤め人の家庭で養牛をしている家がちらほらあり、餌はその辺に生えて
いる草や立ち木の葉を集めてきて食べさせているようだから、飼育費はたいしてかかって
いないように見える。

牛が大きくなって期待する価格で売れる状態になったら、養牛者はそれを仲買人に売る。
仲買人がそれを市へ出すと、牛肉業者が買って屠殺場へ持ち込んで解体し、食肉流通ルー
トに載せるという流れだ。つまり、ふたつのサイクルが別々の思惑で動いているというこ
とになるわけである。


1977年9月にスハルト大統領は国内の肉牛の品種改良を目的にして、オーストラリア
からアメリカンブラーマン種の牛25頭を入手して中部ジャワ州に寄贈した。ローカル牛
と交配させて優良な子供を産ませようという目論見だ。

ところが現場に渡された牛がなかなか交配を世話するひとたちの言うことを聞いてくれな
いため、難渋していることが分かった。そして調べた結果、牛たちは英語で命令すると、
すなおに従うことが判明したのである。

世話人や養牛者たちは急遽英語の勉強を開始した。こうして25頭のオーストラリア牛が
いるところでは、訛りのある英語がその一帯を包んだという話だ。