「アソーイ」(2018年09月21日)

ライター: パスンダン大学文学芸術学部教官・編集者、テンディ K ソマントリ
ソース: 2014年5月10日付けコンパス紙 "Asoi Ada Alai Lebai"

ある朝わたしがバンドンの混雑する路上でもまれているとき、わたしの目は近くを走って
いる発売されて間もない新型車のナンバープレートにくぎ付けになった。D 4500 OOY と
いうそのナンバープレートは一瞬、DASOOOOY という言葉に読めたのだ。「alay」を思
わせるその車のナンバープレートはわたしの目から灰色の脳細胞に信号波を送り込み、古
い単語の詰まったデータベースの引き出しを開けた。「asoy」という昔の単語を今のひと
びとも知っているのだろうか?

1970年代に流行ったスタイルのスラングである「asoy」はいまだにわたしの記憶に鮮
明だ。普通「asoy」は若者たちの間で「asyik」のプレセタンとして使われた。「asoy」
を「asyik indehoy」のアクロニムと解釈する者もいた。パチャランに酔っているという
ことだ。通常「asoy」は心地よい状態をもたらすことがらを指す間投詞として使われ、
「asyik」より凄いという意味がそこに込められることもしばしばだった。この言葉がど
んな階層から生まれてきたのかは明らかでないものの、その流行はあらゆる社会階層を覆
いつくしてしまった感がある。

ものすごいことに、そしてわたしはその事実に驚嘆しているのだが、「asoy」という言葉
は半世紀を生き延びてきたのだ。スラングは一般に特定社会階層でシーズン性を伴って使
われているのが普通だというのに。KBBIがこの言葉を採録したのは多分そのせいだろ
う。「asoy」は「enak」「nikmat」の語義で標準化された。それは「asoy]が標準インド
ネシア語の一単語としての地位を認められたことを意味している。但し標準綴りは「asoi」
に変えられたのだが。

わたしの意識は続いてさまざまなスラングが続々と出現している最近の状況に移って行っ
た。「alay」「lebay」「kamseupay」などといった似たような構成のものがある。もしそ
れらの言葉が将来、インドネシア語の一単語として認められることになれば、「asoy」と
同じような道をたどるのだろうか、というのがわたしの疑問だ。もしそうなれば、「alai」
と「lebai」はKBBIで全く異なる新たな語義を追加されることになる。既にKBBIに
収められている「alai」はkedaungまたはParkia roxburghii (tumbuhan petai-petaian)と
記されており、また「lebai」はpegawai masjidまたはorang yang mengurus suatu pe-
kerjaan yang bertalian dengan agama Islam di dusun (kampung)と定義付けられている
のだから。

「asoy」の語尾の[y]が[i]に変わって「asoi」というインドネシア語になるのは、もちろん
慣習に従ってのものだ。そうしなければならないという決まりは存在せず、インドネシア
語の二重母音は[oi][ai][ou][ei]だけが認知されているということがその理由になっている。
だから「alay」「lebay」その他の同類がインドネシア語になるとき、同じようにその慣習
に従わなければならなくなるだろう。「asoy」が「asoi」に変化するのと同じことがかれ
らの宿命になっているのである。

もうひとつの理由は、インドネシア語で[y]は子音であるということだ。つまり[y]は母音
と合わさって二重母音を作ることができないのである。子音/y/は他の子音と合わさって
tanyaの/ny/の音やsyaratの/sy/の音を表すだけなのであり、母音と合わさるときもsaya, 
yang, bahayaなどのように子音としての/y/の役割を果たすだけなのである。

二重母音のにおいがする「alay」「lebay」「kamseupay」などとは一味異なる、二重母
音が単母音化された雰囲気を持つスラングも登場している。それは「cabe-cabe」。もち
ろんスラングなのだから、若者の間では別の意味で使われている。スパイスのcabai-
cabaiとは違うのだ。もし「cabe-cabe」もインドネシア語の一員となった暁には、KB
BIに新しい語義が加わることだろう。