「ホウクスのある歴史(前)」(2018年10月01日)

ライター: 詩人、文化オブザーバー、ジャカルタ在住、ディキ・ダンパラン・プトラ
ソース: 2017年6月12日付けコンパス紙 "Hoaks dalam Narasi Budaya Kita"

インドネシアの物語史の舞台では、物語が権力伝達プロセスのツールとして使われるとき、
ホウクス(虚偽情報)を生む。それはその物語と同一トピックを述べている他地方の物語
の間に著しい差異をもたらすことになる。例を挙げるなら、ミナンカバウに関するパサイ
諸王伝(Hikayat Raja-raja Pasai)の内容とヌガラクルタガマ(Negarakertagama)の内容の
比較だ。

パサイ諸王伝の中では、水牛を闘わせる策略の中でダトゥ・スアタン(Datuk Suatang)が
ジャワのマジャパヒッ王国遠征軍司令官を敗退させたときの狡猾さが強調されている。水
牛を闘わせて勝ったことにとどまらず、かれはマジャパヒッ遠征軍の全員を毒殺した。そ
の場所は今でも腐敗平原(Padang Sibusuk)という名で呼ばれている。その物語と首尾一
貫させてパサイ諸王伝は、ミナンカバウをマジャパヒッの属国の中に含めていない。反対
にヌガラクルタガマでは(スラムッ・ムリヤナ氏の翻訳によると)、ミナンカバウはマジ
ャパヒッに服属したと記されている。

その差異は参照されたソースが違うことによって出現したと言うよりも、政治的な目的が
異なっていたことが著述内容に影響を与えたと見るほうがより妥当だろう。パサイ伝はそ
の内容を見る限り、パサイに始まるヌサンタラのイスラム教発展史の読み物として書かれ
たものだ。一方ヌガラクルタガマはマジャパヒッ王ハヤムルッ(Hayam Wuruk)が行った
諸国巡行を褒め讃えるために書かれたものだ。いずれも正しい史的要素を踏まえていると
はいえ、ホウクス要素さえ包含している可能性がある。

ところが、そのふたつの物語のどちらにホウクスがたくさん含まれているのかを比較しよ
うとするなら、われわれはまず物語と現代的歴史書それぞれのアプローチパターンについ
て知る必要がある。物語は語り部の話をベースに作られたために、物語作者は冒頭に「X
Xは斯く語りき。」といった類の言葉を常に置いている。かれはその物語のソースでない
し、更にはその内容の信憑性についてもノーコメントだ。

別の特徴として物語というものは、歴史や系図に関わっているものは特に、時系列構造が
設けられていない。A・サマッ・アッマッが言うように、章や部などなく、限界を持たず、
終結辞がなくて「しこうして(maka)」が至る所に散らばり、また特定の個所ではarakian, 
hatta, kata sahibul hikayat, などが使われる。(Sulalatus Salatin, Prolog, 1978)

そんなありさまは、物語を読むための特別なメソッドの必要性を生む。物語は本来的な基
本性質つまりフィクションの位置に置かれる必要があるのだ。さもなければ、フィクショ
ンの絵具を使って描かれた歴史ということだ。それゆえに物語は聴衆に、それを歴史と受
け取るか、あるいは単なる話として聞くかという主体的選択の余地を与える。物語の話し
手は自分がその内容のソースでないことを明白に主張しているのだから。[ 続く ]