「ホウクスのある歴史(後)」(2018年10月02日)

< 最初の歴史書 >
そのあり方は歴史書のものと異なっている。ヌガラクルタガマの書は特に、著者の実見聞
を内容としているように見える。つまり王の巡行に本当に随行したことを著者ンプ・プラ
パンチャ(Mpu Prapanca)は主張しているということなのだ。かれがその書の中で語った
のはハヤムルッ王についてであり、記されているすべてのできごとの第一義ソースが著者
であるような態を成している。ヌガラクルタガマのスタイルは著作権を持っている現代的
歴史書のそれと酷似している。

記載内容が偽りであろうと真実であろうと関係なしに、この書はやはり著者が明白なブス
タヌスサラティン(Bustanus Salatin)のような現代的歴史書の列に加えられるべきものだ。

そうすると、もしヌガラクルタガマが本当に1365年に書かれたものであるなら、イン
ドネシア人が書いた現代的歴史書の中でそれが最初のものだったことになるのではあるま
いか。もっと昔のことがらを記した年代記パララトン(Pararaton)や既述のパサイ諸王伝
がヌガラクルタガマの数世紀後に書かれたことを知るなら、ひとは首を傾げるにちがいな
い。


物語スタイルが科学的検証済み史的事実を主張する現代的歴史科学に取って代わられたと
き、インドネシアの歴史は明快さを増しただろうか、という疑問が湧く。現代歴史科学は
われわれの古い歴史ナレーションがもたらしていた紛糾を解決するための特別なストラテ
ジーを持っているのだろうか?歴史科学は自己完結的でなく、考古学・文献学など他の諸
分野の学問との深い関係の中にあるのだから。

その問題に関連してもっともよく知られたトピックスは多分、スリウィジャヤ王国に関す
るものだろう。最初それは1918年に発表されたクーデス(MG Coedes)の学術報告書
に端を発した。スリウィジャヤは紀元7〜10世紀の東南アジア地域における通商と勢力
図の最有力パワーとしてそこに登場した。ケルン教授(Prof. Kern)の論説を引用してニラ
ンタカ・サストリ(KA Nilantaka Sastri)氏は、クーデスの報告はパレンバンのスリウィジ
ャヤに関する最もオーセンティックな記述である、と述べている。それはスリウィジャヤ
王国こそが7世紀以来島嶼部のグレートパワーであったことをクーデスが最初に表明した
からだ。それまで歴史研究者たちはスリウィジャヤを単なるひとりの王の名前だろうと考
えていた。それが一大海洋帝国であるとは思いも及ばなかったのである。

歴史科学分野における不確定性の存在は、政治目的を抱えたものであろうと、あるいはそ
の他のメリットを求めるものであろうと、主張によって進入できる真空スペースを生み出
す。そのとき、インドネシア文化の中にあるナレーションにホウクスが混入されるのであ
る。[ 完 ]