「イニシアパ?(2)」(2018年10月04日) 質問者が名前に焦点を当てているなら、「イニシアパ?」の問答のあと、「ナマニャシア パ(Namanya siapa)?」という質問が続くだろう。その質問第二弾は出て来ず、名前など どうでもよいという雰囲気で女中や下男にあれこれしてくれと命じる電話の展開が少なく ない事実が、わたしに「イニシアパ?」が名前を尋ねているわけではないという仮説を育 ませる根拠になっているのである。 ともあれ、このような電話のかけ方がインドネシアに定着したのは、その原因がいくつか 考えられる。インドネシア人の個人ビヘイビアを下支えしているインドネシア文化が、そ のような電話の掛け方を定着させたと言えないだろうか? インドネシア文化における人間関係は上下関係だ。つまり非対等文化なのである。この現 象をひとによっては封建性、身分制、あるいは階級制などと呼んでいるが、わたしは人間 関係のあり方を捉えた非対等という名称を使いたい。 かつて王国で大臣は、自分より身分の高い王家のひとびとに接するときの態度と、自分よ り身分の低い役人たちに接するときの態度を、掌を返すようにがらりと変えた。その慣習 はいまだにインドネシア文化の中に残っており、自分が接する相手によってまるで天と地 ほども異なる態度を示すひとびとの姿を、きっと多くの外国人が目にしているはずだ。 人的接触面での対等文化と非対等文化の差異はきわめて大きく、その現象を支えている価 値観はまるで正反対なものになっている。非対等文化では、相手と自分の立場に従って態 度を細かく変えることが、人間関係における研ぎ澄まされた感受性の豊かさの証明として 社会的に高く評価された。対等文化でそれは、まるであるまじきことがらとされていると いうのに。ここで言っている上下関係とは身分・血統・貧富・年齢などその人間が持って いる属性に応じたものであり、個人が持っている軽重や成熟といった要素に向ける尊敬の 念とは無関係なものだ。つまり対等文化の人間がよく勘違いしている、社会生活において 上下関係を示しているビヘイビアの故に、そんな社会の人間は下位者に対して人間性を持 っておらず、ましてや下位者の能力や器の大小を評価したり尊敬したりすることはありえ ないという物の見方のことをわたしは言っている。 もちろん身分や格が上だからというだけの理由で人間のクオリティなど眼中に置かず、尊 大傲慢に振る舞う人間がいないわけでないのは明らかだが、オールオアナッシングでは人 間を見る目があまりにも貧弱だろう。[ 続く ]