「スロボヨアン(後)」(2018年10月10日)

耳で聞こえた音を表記するやり方に従うと、テキストに変則性をもたらすことになる。指
標に従う表記法がテキストを標準的なものにするのである。スラバヤ人は、スラバヤ人コ
ミュニティを明確にスロボヨアン(Suroboyoan)に位置付けるユニークな言語表現を持っ
ている。標準形に従えばSurabayaanでなくて、ダブルa がひとつになるのだから、Sura-
bayanなのだが、友愛精神を重視する性向が言語上の礼節を二の次にしている。

kagenという言葉も、ノスタルジアそのものでなくて、憧懐の対象に向けられる姿勢と見
ることができる。ウィドド・バスキ氏はその詩の中にスロボヨアンを描写した。
「Ketemu ing Surabaya」
diamput, koen ketok lemu
wis makmur, ya!
gak matek, tah
anakmu wis pira
awak dewe isih kere, cuk
インドネシア語訳は次の通り。
sialan, kamu terlihat gemuk
sudah sejahtera, ya!
tak mampus, toh
anakmu sudah berapa
diriku masih kere, cuk

毒舌を通して愛情が表現されている。邂逅はcukの呼びかけでスタートする。cukはdianc*k
の短縮語だ。時にはそれがdulurを縮めたlurに置き換わって、柔和になることもあるのだが。
lurはbrotherのbroと似たようなものだ。
オープンなコミュニティの友愛ビヘイビアはユニークなものである。[ 完 ]