「バタヴィア号難破と殺戮の合理性(3)」(2018年10月17日)

バタヴィア号が難破したのはビーコン(Beacon)島に近いモーニングリーフ(Morning Reef)
と呼ばれる岩礁だった。ここは現在の西オーストラリア州ハウトマンアブロルス(Houtman 
Abrolhos)諸島であり、西オーストラリア州都パースから424キロ北上した海岸の町ジェ
ラルトン(Geraldton)の西方80キロの海上に横たわるサンゴ礁の島々で、砂や石だらけの
不毛の荒れ地で占められていた。

この区域に浮かんでいる島は122あり、現在はその22がロブスターや真珠の養殖産業
に使われている。その関連で現代は居住民がいるが、元来は無人島ばかりだったようだ。


ひとと食料や水あるいは一部の貨物などがカッターでビーコン島に運ばれた。ペルサート
の副官イェロニムス・コルネリス(Jeronimus Cornelisz)が一部の兵員を率いて船に残り、
船が9日後に沈没してからビーコン島に上がった。

実はバタヴィア号が難破に至る前、航海指揮官ペルサートと船長ヤコブスの間にはコンフ
リクトがわだかまっていたのである。VOC社内における履歴に関連して、過去に起こっ
た敵対関係が尾を引いていたのだ。副官イェロニムスがその構図にまたがった。イェロニ
ムスはヤコブスの側について、ペルサートを亡き者にしようと画策した。ふたりはバタヴ
ィアに到着する前に叛乱を起こしてその船を奪おうと計画したのだ。積荷の財宝は一生遊
んで暮らせるほどのものではないか。

ところが、叛乱決起の機会が見いだせないうちに、難破が起こってしまった。そして相棒
の船長はバタヴィアへ連れて行かれたのである。ペルサートが叛乱計画に気付いていたか
らそうしたのかどうかイェロニムスに確信はなかったが、船長がバタヴィアで尋問を受け
れば叛乱計画がバレる可能性が高い。

ペルサートが救援隊を率いて戻って来ることは自分の破滅を意味している。ならばこの状
況で自分は何をするべきか。イェロニムスがその答えを引き出すのに、たいした時間はか
からなかったにちがいない。かれは動き出した。

自分に忠実な者を選んで自分の親衛隊にし、すべての難民から武器を取り上げて自分たち
だけが武装した。更に自分が容易に操縦できる人間を集めて評議会を作らせ、難民たちに
対する支配を進めて行った。また船から流出した食糧や物資を独占し、難民たちが作った
筏も評議会のものとして難民たちが自ら使えないようにした。更に難民たちをいくつかの
島に分散させて自分たちが扱いやすい人数にし、かれらが団結する前にその芽を摘んだ。
[ 続く ]