「バタヴィア号難破と殺戮の合理性(4)」(2018年10月18日)

独裁者となったイェロニムスの行動はエスカレートする。不要な人間は抹殺せよ。弱者や
病人怪我人などがまずその犠牲になった。夜中に喉を掻き切られ、筏で沖へ出た時に海中
に突き落とされた。女たちはレイプされた。イェロニムスはかれの一党に対し、リーダー
に忠実であることがサバイバルを可能にするのだ、と威嚇した。

イェロニムスに忠誠を誓わなかった兵員22名が8キロほど離れた西ワラビー島で真水を
探すよう命じられた。全員が島に渡ると、イェロニムスの部下はかれらを武装解除してか
ら島に置き去りにした。

これで22人を片付けたと思っていたイェロニムスはある日、島から狼煙が上がったのを
見て冷静さを失った。水を見つけたら狼煙を上げることにしてあったのだから。
「かれらはまだ生きている。水が見つかったのだろうか?」

いやそれよりも困るのは、救援隊が狼煙を見てかれらを先に発見し、かれらから情報を入
手することだ。救援隊がこっちに先に来れば、隙を見て倒す機会は必ず得られるだろうが、
戦闘態勢でこっちに来られたらそんなチャンスはない。


西ワラビー島では、22名の兵員のひとりウィーブ・ヘイズ(Wiebbe Hayes)が運命を同
じくする仲間たちを指揮した。かれらは岩を集めて島に砦を築いた。その砦が、オースト
ラリアにヨーロッパ人がもっとも最初に構築した建造物だとされており、今日に至るまで
保存されている。

かれらは島に住んでいる数少ないワラビーを捕まえて食糧にした。イェロニムスら叛乱者
に反撃するための準備が整うと、かれらをおびき寄せる作戦を立てたのである。


イェロニムスは部下に「22名を皆殺しにして来い」と命じて送り出したものの、命令遂
行に失敗した部下たちはすごすごと引き返してきた。こうなればヘイズを甘言で釣って、
見方につけさせるだけだ。それは自分にしかできない。

イェロニムスは武装した部下たちを連れて西ワラビー島に渡った。そして説得の折衝に入
ったが、最終的に起こったのはイェロニムスが予想もしていなかったことだった。ヘイズ
たちはイェロニムスを捕まえて縛り上げてしまったのである。


恐怖支配が終わりを告げてほどなく、サアルダム号が到着した。事情聴取が行われて、何
が起こっていたのかが救援隊の全員に明らかになった。ペルサートはイェロニムスに組み
した者の一部をシール島に運んで処刑を行った。右手を切断してから絞首刑にするのが決
まりだ。イェロニムスだけは左右の両手を切断されて、1629年10月2日に絞首台の
露と消えた。[ 続く ]