「バハサアライ」(2018年10月19日)

ライター: 短編作家、レイニ・フタバラッ
ソース: 2012年11月30日付けコンパス紙 "Bahasa Alay"

わたしはあるときフェイスブックで大学時代の先輩にメッセージを書き送ったところ、た
だDとだけ書かれた返事が来た。わたしはそれをDiam(黙れ)の意味に理解して、先輩
を恨んだ。そのときわたしはまだソスメドの初心者だったから、そこで使われている絵文
字に関する知識はほんの少ししかなかったのだ。

それ以来フェイスブックでその先輩に出会うたびに、わたしは心穏やかでなかった。しか
しそのうちに、みんなが頻繁にコメント欄にDとだけ書いているのに気付いたので妹にD
の意味を尋ねると、大口を開いて笑っている絵文字であることを教えてくれた。


スマートフォンとフェイスブックやツイッターなどのソスメドの出現が独特の言語様式の
誕生に一役買ったことは認めなければならないだろう。つまり口語のバハサガウルと英語
を主体にする外国語、省略語、絵文字、数字、図像性などをガドガド書き言葉にしたバハ
サアライである。Alayとはanak lebayのアクロニムだ。この言葉は若者層の間で発展して
いるが、メドソスの中では大人や年寄りまでもが使っている。この言葉は日進月歩で発展
しているため、わたしのようにアカウントを持つのに出遅れた大人は適応期間がおのずと
長くなる。バハサアライは基本的に、1980年代に盛んになった首都の若者たちのバハ
サプロケムを基盤にして、独特のソスメド言語スタイルとして成長した。ソスメドでの交
流で正しく良いインドネシア語など使おうものなら、融通の利かない、硬直的で、お笑い
草の異分子のように見られてしまう。

わたしはここでバハサアライ出現の要因分析をしようというわけではないし、ソスメドの
中に散りばめられている諸サンプルを紹介しようとするものでもない。もちろんわたしは、
インドネシア語の諸原則を習得しなければならない年代の若者たちがバハサアライに没頭
しているのを目にして心を痛めている者のひとりだ。通信情報省のデータによれば、イン
ターネット利用者のマジョリティは若者が占めており、64%に上っている。インドネシ
ア国民は2千6百万人がネット利用者で、米国1.3億人、英国2千8百万人に次ぐ世界
第3位の地位にある。2億3,420万国民中の2千6百万人が若者を中心にしてバハサ
アライを使っているのである。インターネットのソスメドとSMSが存在し続けるかぎり、
バハサアライの発展は止むことがないだろう。

バハサアライの原理は簡単だ。友人たちが発信者の意向を理解すればそれでよいのである。
だからひとりひとりが自由気ままに標準インドネシア語や英語を短縮したり、ひっくり返
したり、図像化したり、数字や記号や絵文字を混ぜ込んだりする。短縮するときに母音を
抜いたりし、文中の単語がすべて形を変えられても、友人はそれが理解できるはずなのだ。
ツーと言えばカーなのである。

Aq ke rmhx hr ni. というバハサアライの例は、Aku pergi ke rumahnya sore hari ini. 
というインドネシア語になる。mkcih ya. はterima kasih, ya.だ。otw ke rmh. はon the 
way ke rumahであり、gapapaはtidak apa-apaだ。I luph u:)) の最後に出てくる))はスマ
イルの絵文字であり、PはPiiisつまり英語のpeaceを表し、Jangan marah, dong. を意図
している。

バハサアライからどんな結論を引出せるだろうか?「言語は民族を表す」ということわざ
はもう妥当でない。それは今や「言語はメディアを表す」に変化している。