「赤児売買事件(終)」(2018年10月24日)

インドネシア人が作っている実定法は国際スタンダードを観念のベースに置いており、こ
れは時代が下ってくればくるほど、その傾向を強めている。インドネシア人が遠い過去か
ら伝えてきたかれらの生活を律する観念は、その国際スタンダードと多少とも趣を異にし
ている面があることを忘れてはなるまい。つまり異文化が作り上げ、異民族が実践してい
る価値観にそれほど容易に移り変われるほど近い関係ではなかったのではないかというこ
とをわたしは指摘している。

そのために国民の生活規範と実定法が一体化されておらず、国民は生活規範により近い宗
教法によりかかろうとする傾向を持ち続けている。それが時には国民総犯罪者化を招くこ
とも起こっており、全国民を犯罪者にすることが不可能であるためにかえって法執行にち
ぐはぐさを生じさせ、国民の法律に対する信頼感を盛り立てることが困難になるという背
景すら生み出されている。

上で述べられている通り、A自身は基本的に自分に対する謝礼を必須項目としていないよ
うだ。Aは人助けのためにその仲介行為を行って来たと主張しているのだが、児童保護法
という法律の条文に照らせば、それは犯罪行為に該当することになる。


Aはスラバヤの大学で家庭福祉教育を修得し、ある期間ボランティアの家庭福祉カウンセ
ラーを務めたこともある。そして自分が運営しているインスタグラムのサイトには678
人フォロワーがいて、相談をもちかけてくるひとは百人くらいいるそうだ。

Aは大人たちが手を揚げてしまった赤児に少なくともより明るい未来を与えんがために、
やむにやまれず仲介行為を行い、それにインドネシアの庶民文化に則して金をからませ、
関与する他の人間がその実現に努めるような状況を構築していたという見方を持ち込むこ
とは、決して歪曲にあたらないだろう。

国民の大部分がまだ身に着けていない国際スタンダードで法律を作り、法律に禁止されて
いる行為を行った国民を犯罪者として罰するという国のあり方の是非はどうなのだろうか?
おまけに、国民がそういう土壇場に追い込まれるまでに、いや追い込まれてさえ、かれら
に救いの糸を垂れることを国はどれほど行ってきたのだろうか。それを軽減させようとし
て関与する個人の善意が国によって踏みにじられているとするなら、悲惨の思いは数層倍
に膨れ上がるにちがいない。[ 完 ]