「マゼラン世界周航五百年(1)」(2018年10月29日) フェルディナンド・マゼランのスペイン船隊による世界周航は1519年8月10日にセ ビリアを出帆することでその端緒についた。5百年前に行われた人類初の世界一周航海は、 地球というものの規模を確認する上で多大な貢献をもたらしたと言えるだろう。その5百 年が経過したことを記念して、来年は記念航海が計画されているようだ。マゼラン船隊が 立ち寄った北マルク州ティドーレ(Tidore)島もその祝祭から無縁ではいられない。という のも、マゼランの世界周航は東インドにあるスパイスの産地への航路を発見することが最 有力の動機だったのであり、香料諸島がその壮挙の第一の誘因であったことは紛れもない 事実なのだから。 北マルク州の中核をなしているハルマヘラ島の西側に南北に並んでいる島々が香料群島あ るいはモルッカ諸島と昔呼ばれていた地域だ。もともとはテルナーテ、ティドーレ、モテ ィル、マキアン、バチャンと連なる一群の火山島がモルッカ諸島と呼ばれ、この地域原生 の香料植物が貴重な資源として世界中でもてはやされた。特にヨーロッパでの需要が大き く、マレー半島〜インド〜アラブ〜エーゲ海〜ベニスというルートを経てヨーロッパに流 れ込んでいくスパイスは、そのルート沿線の住民たちに大きな経済上の利益をもたらして いた。 しかし時代が下ってくるにつれて、モルッカという名称は北マルク州地域一円からさらに セラム島アンボン島一帯にまで拡大し、北マルク州分離依然のマルク州という地域全体を 包む呼称となったのである。 スパイス交易ルートを握っているアラブ人とベニス人の手から独占権を奪おうとしてポル トガル人が動き始めたのは、イベリア半島からのイスラム勢力駆逐と国家経済を富ませる ための富国強兵的独立国家方針の結果だった。小国ポルトガルはそれを国家プロジェクト として開始した。こうして大航海時代が幕を開く。 4隻編成の小船隊でリスボンを出帆したヴァスコ・ダ・ガマは1498年5月、インドの カリカットに到着してヨーロッパとアジアを結ぶ航路をはじめて確立させた。それ以来、 ポルトガル人は繰り返しインドに強力な船隊を派遣してコショウを中心にスパイスの入手 に努め、その一方でアジア経営の根拠地を設けるべく戦闘を重ねて1510年2月にゴア を陥落させた。以来、ゴアがポルトガル人のアジア経営根拠地となる。[ 続く ]