「インドネシア語生誕記(前)」(2018年11月05日)

何によらず、ものごとが誕生するには産みの苦しみがある。感受性の個人差を考慮するな
ら、それが辛苦であれ甘苦であれ、プロセスが存在しているということだ。

インドネシア語という名称の言語が誕生し、それがインドネシア共和国の国語となったの
もプロセスの結果なのである。国語としてのインドネシア語の誕生は1945年憲法制定
によるが、1942年の日本軍政開始でそれまでの国内統治における公用語だったオラン
ダ語が適性語として廃止されたとき、いまだ存在しないインドネシア共和国の人民が使っ
ているインドネシア語がその空白を埋めた。

共和国が存在しなければ、その共和国の国語だって存在しえないのは当然だ。なのにどう
して国語でないインドネシア語だけは存在していたのか?

1928年10月28日にバタヴィアで開催された第二回インドネシア青年会議で採択さ
れた青年の誓い(soempah pemoeda)がインドネシアの地・インドネシア民族・インドネ
シア語という概念を確立させたのである。

Pertama: Kami poetra dan poetri Indonesia, mengakoe bertoempah darah jang satoe, 
tanah Indonesia.
一:われわれインドネシア青年男女は、インドネシアの地というひとつの祖国にあること
を声明する

Kedoea: Kami poetra dan poetri Indonesia mengakoe berbangsa jang satoe, bangsa 
Indonesia.
ニ:われわれインドネシア青年男女は、インドネシア民族というひとつの民族にあること
を声明する

Ketiga: Kami poetra dan poetri Indonesia mendjoendjoeng bahasa persatoean, bahasa 
Indonesia.
三:われわれインドネシア青年男女は、インドネシア語という統一言語を奉持する

これは数世紀にわたってオランダ植民地行政が行って来た分割統治のせいで被植民地民族
という一体感・連帯感や団結意識が弱かったヌサンタラの諸種族に向けられた、団結を呼
びかける宣言というのが第一の機能であり、コロニアリズムに向けられる民族主義の発露
というのは副次的なものだった。もちろんわたしはそれを射程外と言うつもりは毛頭ない
のだが。[ 続く ]