「スラバヤの観光戦略(前)」(2018年11月13日)

西暦1358年とされているトロウラン碑文にスラバヤはチュラバヤ(Curabhaya)と書か
れている。チュラは「勇敢な」、バヤは「危険」を意味しており、マジャパヒッ王国建国
時の重臣アルヤ・ルンブ・ソラ(Arya Lembu Sora)が命名したと言われている。鮫のスラ
とワニのバヤ(ブアヤ)が語源という童話じみたものよりは蓋然性が高いと誰しも思うに
ちがいない。

おまけに、そこは昔からブランタス川河口のウジュンガル(Ujung Galuh)と呼ばれる港町
で、マジャパヒッの王都に向かって川を遡航する際の大手門に相当していたという話が従
来通説になっていたのだが、リンタン・チャンドラ氏の異論が出されていて、たいへん興
味深い仮説になっている。


その昔、観光行楽資源としては動物園しか名前の知られていなかったスラバヤが、201
8年ヨカッタ・ワンダフルインドネシアツーリズムアワードで優勝を獲得した。

観光という言葉の語義論的解釈では、風光明媚な観光スポットを持っている都市など限ら
れており、都市に観光を求めるのは木に登って魚を探すようなものだろうとわたしは考え
ている。その一方で、稠密な人口を抱える都市には、たくさんの行楽スポットが近郊を含
めて存在しているはずであり、都市を旅行するというのはそういう内容のものになる必然
性が高いはずだ。どこそこの都市は観光に適さないという日本語文に、わたしはいまだに
「言語明瞭意味不明」の感を抱いている。

2008年にスラバヤを訪れた旅行者は外国人13.7万人、インドネシア人710万人
だった。それが2017年には157万人と2,271万人に増加しているのである。ス
ラバヤを観光行楽目的で訪れるひとの数を見るだけでも、スラバヤがどれほど旅行者を招
き寄せる力を手に入れたかを如実に物語る指標と言えるにちがいない。

そこにはもちろん、東ジャワ州の表玄関であるスラバヤを通過してブロモ山やバニュワギ
のイジェン火口などに向かうひとびとも含まれているわけだからスラバヤひとりの手柄に
することもできないのだが、少なくとも州内交通の要としてのインフラとサービスをスラ
バヤが持っている要素にわれわれの目が引き付けられる事態を生むことになるだろう。

ちなみに東ジャワ州の人口は4千万人で、スラバヤ市人口は320万人だ。2012年と
いう古いデータになるが、スラバヤ市内には152の宿泊施設があり、客室7千でベッド
数は1万と記録されている。

市内の人気スポットは、クンジュランビーチ、ジュンバタンメラ一帯の旧市街、ハウスオ
ブサンプルナ、スナンアンプルゆかりの地、聖処女マリアカソリック教会などがあり、マ
レーシアや中東から来たムスリム観光者はスナンアンプル地区へ、ヨーロッパ人は教会や
旧市街へ繰り出すのが人気コースになっている。[ 続く ]