「インドネシアの名の由来(後)」(2018年11月13日)

オランダで学業に励んでいるインドネシア人学生生徒・華人プラナカン・印欧混血児・オ
ランダ純血児らの組織の連合体が1917年に初めて組織名にインドネシアの名を冠した。

インドネシア学生連合Indonesisch Verbond van Studerendenがそれだ。翌年、ハーグに
蟄居させられていたスワンディ・スルヤニンラがそこでインドネシア通信社Indonesisch 
Persbureauを設立した。その通信社はパンフレットや論文の出版、講座や講演などを行っ
た。公平な見地に立つなら、政治的な意味でインドネシアの名を使ったのはインドネシア
学生連合が先であるものの、後にキ・ハジャル・デワンタラと名を変えるスワンディ・ス
ルヤニンラこそがその政治的意味合いを推し進めるのに大きく貢献したと言えよう。


「インドネシア民衆の代弁者ブンカルノ」(1966年)の中でスカルノはインドネシア
という語についてこう説明している。「インドネシアというのはオラ?ンダで学んだドイツ
人考古学者Jordanに由来する語で、この島国がインドに近いことから、かれはインドの島
々と命名した。ギリシャ語で島々を意味するNesosを付けたIndusnesosが最終的にインド
ネシアになった。
われわれがこの島々を統一して大きな一体化したものにしなければならないと考えたとき、
われわれはその名前をしっかりと握りしめ、その中に政治的な内容を盛り込んで行った。
その結果、それは民族的人格を導くものとなったのである。」

そのためにスカルノは明るく青い空とゆったり流れる白雲、そして暖かい空気をインドネ
シアに結び付けている。「愛するわが兄弟たちよ。夕暮れの光の中で怒涛をあげて海岸に
打ち砕けてくる海はわたしにとって、大洋の波涛の轟きの中に動くインドネシアの生命な
のである。子供たちの笑い声を聞くと、わたしはインドネシアをそこに聞く。花の香りを
吸うとき、わたしはインドネシアを吸い込む。わたしにとっての祖国の意味がそれだ。」

名前の中に意味があるのだ。インドネシア人は名前に高い意味を与える。そこに考えを、
希望を、理想を、尊敬を、美を、文化を、モラルを委ねるのだ。われわれはスラムッ、
イマン、ブルリアンなどといった名前を知っている。支配者にとって、名前は偉大さを示
すものだ。アマンクラッは世界を抱える者、パクブウォノは世界を支える者、ハムンクブ
ウォノは世界を抱く者、領地の一番小さいパクアラムも半端ではない。大自然を支えるの
である。今インドネシア人は、スカルノが持ったものとは異なる理想・意欲・野望を描く
ための、国と政府に新たな名前を求めるべき時が来ている。[ 完 ]