「若者たち(3)」(2018年11月14日)

インドネシア語も日本語も、青年あるいは若者という言葉を年齢の若い者と定義付けてい
る。しかし老若は相対的な概念であり、四十代五十代の人間をつかまえて鼻たれ小僧と呼
ぶことさえ可能なのである。

KBBIはpemudaをremajaと同義語にしているから、少なくとも二十代後半になればpe-
mudaと呼ばれにくい環境になっているようだ。しかし三十代の実業家はpengusaha muda
と呼ばれているから、そこでは相対的な意味付けになっているということにちがいない。


さて長々と語義論を述べてきたが、ここからはremajaの話になる。おまけにコンパス紙が
この記事で定義付けているremajaはティーネージャーの中の若年層に向けられたものだ。
13〜17歳という中高生年齢層がこの記事ではルマジャと呼ばれている。

2億5,760万国民の内の13〜17歳年齢ブラケット人口は2,340万人で、国民
人口の9.1%を占めている。男子1,200万、女子1,140万人が内訳だ。

ルマジャは自分がもう子供ではないと思っているというのに、大人はかれらを、これまで
と同じように指導してやらなければ危なっかしくて見ていられない、と感じている。成人
のような論理思考はまだ無理で、自力で何かを決定したり、責任を負ったりする力もまだ
ないと見られている。粘り強さのない性格、狭い視野、単純な思考のルマジャを成熟させ
るために、大人はルマジャの日常行動に介入し、問題解決のための指導と指針を与えるの
である。

そのとき、問答無用で頭ごなしの指導や指針が与えられると、ルマジャの性格はいじけて
いく。成熟させるべき対象であるかれらを、自信がなく依存的で、不安に満ちた頼りない
人間にしていくなら、逆効果もいいところだろう。

思春期が始まると、身体的生理的変化が本人の精神構造に変化を与えて行く。だから身体
的成長が先行するのが当たり前なのだが、一般傾向として思春期の開始は早くなっている
のに対し、脳の発達は遅れ気味になっているそうだ。それに鑑みて、大人と認定できる前
の年代を10〜24歳とするべきだという声もある。[ 続く ]