「スラバヤの観光戦略(後)」(2018年11月14日) 旅行者に優しい町を目指すトリ・リスマハリニ市長の指揮下に、市内の各所には公園が設 けられて今や430カ所になり、道路も歩道が整備されて清掃が行き届き、たいていの市 民も居心地の良さを存分に感じている。 1945年11月10日のスラバヤ市民による対AFNEI進駐軍蜂起はインドネシア共 和国独立闘争の1ページを飾るものだった。インドネシアの武力による独立闘争は独立宣 言の後で起こったという珍しい形になっている。その詳細は「スラバヤの戦闘」 http://indojoho.ciao.jp/koreg/hbatosur.html をご参照ください。 そのおかげでスラバヤは「英雄の町」の異名を取り、スラバヤ人の闘争意欲は全国の諸種 族から一目置かれるようになった。毎年11月10日の英雄の日には全国で共和国独立の ために生命を投げうった英雄たちを中心に国家に貢献したひとびとへの追悼が営まれてお り、スラバヤ市ももちろんその例外ではない。 英雄の町スラバヤ市では11月9日夜にその前夜祭として、これまで毎年45年11月1 0日のできごとを再現する街中での大群衆ドラマが演じられてきた。今年も市内パッラワ ン通りで「スラバヤ燃ゆ」が演じられたのだが、19時半に開始されたそのドラマに大惨 事が起こった。ドラマ出演者でなく観客の中に死傷者が出たのである。 大群衆ドラマがパッラワン通りでスタートする前から、50メートルほど北側で通りをま たぐ鉄道線路高架橋に見物人が続々と集まって来た。そこが高みの見物に絶好の場所だと ひとびとは考えたのだ。もちろん列車が通過するための施設であり、展望台などではない。 絶好の位置から見物している者がいることを知った他の見物人もそこへ集まってきて高架 橋の上は人間で混雑する状態になった。列車がやってくれば危険極まりない。ドラマ進行 の保安と警備に数千名が動員されており、高架橋のたもとにも配備された要員があったの だが、「危険だから入るな。」と警備担当がいくら制止してもひとびとは続々とやってき て橋の中央部分に進んで行ったそうだ。 ドラマがスタートして十五分ほど経過したころ、ついに怖れていたものがやってきた。ス ラバヤ近郊鉄道のシドアルジョからパサルトゥリ駅に向かう貨物列車が接近して来たので ある。既に夜はとっぷりと暮れている。 ディーゼル列車は高架橋に大勢の人間がいるため、平常速度の30キロを半減させ、警笛 を何度も鳴らしてゆっくりと前進した。橋の上は修羅場と化した。列車にひかれないため には、人間の壁を押しのけなければならない。一方、地上高7メートルの橋の端から落と されないようにするためには、人間の壁を押し返さざるを得ない。 警察の発表によれば、13歳の少年ひとりが列車にひかれて即死、9歳の少女と17歳男 性のふたりが橋から転落して死亡した。他に転落した重軽傷者が20名あったとのこと。 [ 完 ]