「遊びの性、聖なる性(終)」(2018年11月23日)

そのような観念が出現したのは、人類進化の初期以来、男性は公共の場つまり家の外での
活動がメインを占め、多くの緊張や危険に対処するのを余儀なくされたためだ。男性がス
トレスや疲労に襲われがちになるのは当然で、それを癒すものを求めるようになる。

反対に女性は私的な場、つまり家の中での活動を主体にしたため、緊張や危険に直面する
レベルは男性に比べてたいへんに低かった。その状況が古代女性をして慰安や娯楽を希求
する傾向を低いものにし、セックス関連のことがらに対しても受動的な姿勢を女性に取ら
せた。しかし時代は変化し、人間は進化を続ける。

ジェンダー対等思想が強まるにつれて公共の場への女性の進出は増大し、新しい女性との
関係のあり方を構築しようとする意識が男性の間に出現するとともに、科学技術の発展に
よって女性の側に性的表現にも新たな動きが生じてきた。


ウダヤナ大学ウインピー教授は、診察を求めに来る最近の女性患者はセックス問題を昔よ
りオープンに語ってくれる、と述懐する。それどころか、女性もますます大胆で正直に、
カップルの相手に対する不満を含めてセックスへの希望を物語るそうだ。医師にとっては
ありがたい状況だと言えるに違いない。

その傾向はこれからもますます高まっていくにちがいない。セックスに関することがらへ
の観念の変化は避妊法の発達に伴って、インドネシアを含めてたくさんの国で起こってい
る。ミレニアル世代がセックス関連イシューに対して許容性を高めていることを思うなら、
変化のスピードは大幅に上昇するだろう。

< 倫理 >
女性の一部がセックスイシューに対して開放度を強めているとはいえ、セックス問題に関
してかの女たちを包んでいる価値観・倫理・文化並びに男女関係のあり方に変化はない。
セックスが神聖なるものであるという観念を女性はまだ変えていないのだ。セックス面か
ら自尊心を汚されたら、女性の心は大きく傷つく。

男性がオープンな性的表現を行っても、悪いことは何もない。それは進化の帰結なのだか
ら。だからと言って、男性は自由に性的欲望を発散させてかまわないということにならな
い。性行為を誘う露骨な言葉は、それを望んでいない被害者だけでなく、すべての女性に
対しての蔑みの棘になるのだから。

女性を敬い、その価値を認める倫理と文化は、守られなければならない。いかにバーチャ
ル世界であっても、敬意は保持されなければならないのだ。倫理と文化を打ち捨てて性的
欲望を発散させるような真似は避けなければならない。セルフコントロールを忘れてはな
らないとタウフィッ教授は強調している。[ 完 ]