「ラリア(前)」(2018年11月26日)

ライター: 詩人、エッセイスト、ダミリ・マッムッド
ソース: 2016年10月15日付けコンパス紙 "Lalia atau Celoteh"

人類学者の研究によれば、先史時代からネアンデルタール人の時代まで、人類が言語を使
ってコミュニケーションしたり自己表現を行ったことを証明できるものは何一つないのだ
そうだ。かれらが行った音声表現はラリア(lalia)レベルだったと専門家のノートに記さ
れている。ラリアとはギリシャ語源の言葉で、呂律が回らない、モゴモゴ言う、しどろも
どろ、などで表現される、要するに何か言っているが、何を言っているのかよくわからな
い発音や発言を指している。ラリアで会話や意見を交わすようなことはできない。ただ人
間の動作・行為を衝き動かしたり、集団生活における重要事項をシンボライズすることに
しか使えないのである。

その一方で、旧石器時代末ごろまでに、洞窟の壁になされた美しい彫刻・彫像・絵画の形
でアートは急速に進歩した。スペインのアルタミラ洞窟の壁画は芸術的価値の高い、きわ
めて美しい作品を示している。そんなかれらがどうして言語表現や意思疎通に力及ばなか
ったのかということは、言語が個人で作り出せるものでなく、教えられなければならない
ものであることの証明と見ることができる。


われわれの言語にラリアなるものが残されていることは大いにありうる。nah, wah, waw, 
ya, au, oi, kah, tah, lah, nyah, ah, uh, ih, eh, cis, uf, などが多分それだ。それ
らの音声はすべて、それを使ってお互いの意思疎通を行うのは不可能であるし、それをど
んなに組み合わせようが理解可能な文を作り出すこともできないのは、試してみればわか
る。それらは、何かをしようとするときにその行為を促したり、あるものごとの合図とし
て使えるのがせいぜいだ。

英語にも、ugh, wow, lo, ye, o, oh, などのラリアに区分できるであろう形態素や小辞が
あることをわれわれは知っている。インディアン・黒人・モンゴル人・ティベット人らの
古代原語を調べてみるなら、ラリアと呼ばれるべきものがきっとたくさん見つかるだろう。
ニアス・バドゥイ・バタッ・ブギス・ダヤッ・パプアなど、インドネシアの地方語も同じ
であるにちがいない。

それとは別に、いまは単語として認識されているものの、元々はラリアもしくは擬音語だ
ったと思われるものもある。dentam, dentum, denting, banting, (tam, tum, ting, な
どの音)、あるいはtambur, sembur, debur, keletak, keletuk, batuk, tampar, gempar, 
gelepar, lempar, lapar, tempik, pekik, tampik, sing-sing, pusing, gasing, bising, 
langsing, asing, gembung, tembung, lambung, sorak, serak, gerak, porak、そうして
selang-seling語が作られた。selang-seling, bolak-balik, kutak-katik, mundar-mandir, 
puntang-pantingなどだ。[ 続く ]