「セクシーなペチャ鼻(後)」(2018年11月27日) その頭部のエロティシズムから、好むと好まざるとに関わらず、人種差別的な疑問が生じ た。どうして白人はめったに鼻にキスしないのか?鼻梁が高すぎて鼻のこすり合いがそれ を妨げるからだろうか?そうかもしれない。わたしは妻の鼻に口を摺り寄せるのが少々む つかしい。そのため、白人にとってはエロティシズムの焦点を鼻から口に、どんな匂いを していようが、移さざるをえない、というのが自然の法則だったのではあるまいか?おお いにありうることだ。ましてや、口吸いというのはインドからヨーロッパ(ギリシャ)に アレキサンダー大王の軍勢が紀元前4世紀に伝えたという話になっている。インド人の鼻 はもちろん、けっこう高いだろう? この事実は続いて、わたしのような尊敬されるべき知識層に対して次なる疑問を生じさせ た。鼻の本性はどこまで人種的性向の決定要因になるのだろうか?鼻ペチャ人種と鼻高人 種というふたつのカテゴリーが存在し、ひとつは鼻にキスしあい、もうひとつは鼻高のゆ えにそれが邪魔されるものだから仕方なく口にキスし合うというように。マクウィリスに よれば、鼻形にもとづく人間の分類は遺伝学者や症候学者にもっと注目される必要がある (2006:201)とのことだ。性欲や生殖に関する決定要因なのだから、それは肌の 色よりも重要なことがらなのである。こりゃマジな話だ。 残念ながら、練り歯磨きやハリウッド映画熱などの米帝主義が手伝って、ヌサンタラ古来 の鼻キス習慣は後退の一途にある。LSAN(アンダルヌサンタラサーベイ機関)のマク ウィリス式人種カテゴリーに関連した調査によれば、99%が鼻ペチャ人種で占められて いるメトロポリタンジャカルタ都民の67%超が鼻高人種型キスパターンに転向している。 事実はそうなのだ! だが、鼻ペチャ人種の未来に希望がないわけでもない。クマル・ババによれば、21世紀 はアジアの世紀であり(2002:8)、そこではあらゆるものごとの価値システムに変 化が起こるのである。中国人アクターの口と鼻のこすり合いがマーロン・ブランド風フレ ンチキス並みにエロチックであるなら、ジャカルタ人も鼻を持ち上げることを含めて鼻ペ チャ人種の本性に回帰することは疑いあるまい。 そうなれば、アイデンティティの焦点は宗教だの何人だのということから離れて、ヌサン タラ特有の鼻ペチャというポイントに移行する。文化帝国主義は最終的にへたばってしま う。 その一方で、ヨーロッパの諸都市、いやインドネシアにおいてでさえも、人種や宗教ある いはその他の何であれ、絶対的な差異の存在を信じようとしないがために、わたしのよう な鼻高の白人がヌサンタラ人の妻に鼻をこすり続けるケースはきっと散見されることだろ う。[ 完 ]