「ラリア(後)」(2018年11月27日)

先史時代のわれわれの先祖たちは、野獣を狙って投げた槍が獲物をしとめたのを目にして
歓喜の興奮に包まれ、「par, par!」 と叫び声をあげたのではないだろか?野獣に向かっ
てlemparされ、野獣がterkaparしたのである。次の段階でかれらは、それを応用した。空
腹のときに空っぽの腹を叩きながら「par, par!」と叫んだかもしれない。laparがそれを
意味する語になった。腹の中の寄生虫がmenggeleparしたのかもしれない。

メダンに関する話がある。メダン出身の下士官候補生一個小隊がバンドンで射撃訓練に従
事していた。訓練指導官はソロ出身だ。射撃の構えに就いた小隊に向かって指導官が叫ん
だ。「Tembaaakkk!」だが銃声はひとつも聞こえない。指導官はもう一度叫んだが、結果
は同じだった。指導官の同僚がそこを通りかかった。メダン出身のその同僚はソロ出身の
指導官に近寄ると何事かを耳打ちし、何もなかったかのように通り過ぎて行った。指導官
は呼吸を整えると、ふたたび叫んだ。「Tembaklaaahhh!」そして銃声が轟然と響き渡っ
たという話だ。

メダン人はもちろんlah, kah, tah, oh, hoi, 等々の小辞を使うのが好きだ。makanlah, 
singgahlah, siapakah, manatah, oi mak jang, ・・・・・


わらべ歌の歌詞にもそれらの音を示すものが混じっている。たとえばこれ。
leng kalileng, 
kalileng cina buta, 
awas-awas anak kaleng, 
ditangkap cina buta.
Tak kutel lewe-lewe,
tak kutel lewe-lewe......

次のようなものもあるが、われわれにはもう、その正確な意味を理解することができない。
pak along-along,
keriting inyang-inyang,
ketapang bolak-balok arak-arak minyak wangi,
pecah telur sebiji, 
horeee....

わらべ歌にはこのようなものがまだまだたくさんあって、意味はもっと難解だが音の響き
はわれわれを陶酔させてくれる。


特に、言葉としては意味をなさないものの、特別な響きを備えた呪文として使われるもの
もある。衆生の意識を集中させてトランス状態に陥れるために使われる呪文は、祭祀をつ
かさどる者にとってたいへん有益なツールだ。もっと言うなら、司祭者にとって語義より
も音のほうが重要なことがある。音の響きが衆生をトランスに誘うのだから。恍惚状態に
入るためにトランスは司祭者にとっての重要な条件になるのだ。

そんな呪文の中で、われわれは次のような音によく出会う。hong, long, hi, puhh, puah, 
puss, ooo, sing, ping, ting, nging, ling, we-we, tu, e, eng, hei, huff, huss, 
wow, etc. etc. [ 完 ]