「ナフム・シトゥモラン(前)」(2018年11月29日)

バタッ歌謡という音楽ジャンルがある。古い時代に美しく力強い男性コーラスで一世を風
靡したバタッ族の十八番だ。そのころ、たいていのナイトスポットはバタッ人コーラスグ
ループを用意していた。

60年代から70年代にかけて作られたバタッ歌謡レコードには、当時のヒット曲が収め
られている。Lissoi, Maragam-Maragam, Sahata Saoloan,  Si Bio-Bio, Mar-Happy2 
Tung So Boi, Doli-Doli Tang, Modom Ma Dainang Unsok, Marsapata To Ho Ma Ahu 
Namboru ..... それらの作曲者がナフム・シトゥモラン(Nahum Situmorang)だ。

1908年2月14日に南タパヌリ県シピロッに生まれて1969年に没したナフムは脂
の乗り切った50年代60年代に他のバタッ作曲家とは異なる特徴的な作品を世に送り出
して喝采を浴びた。

かれの曲風はバタッの伝統文化に沿った旋法よりも西洋風のハーモニーとダイアトニック
に即した旋律を使い、四分の三拍子やルンバ・フォックストロット・ラテンリズムを取り
入れた。当時としては斬新なものが聴衆の嗜好にフィットした。

60年代半ばに出されたシトンプル三人娘のレコードには、当時のヒット曲の中にナフム
のIndada Siriritonがブビ・チェンの伴奏で収められている。70年代になって三人娘が
シトンプルシスターズと名を変えた時期のレコードでは、ナフムのSi Togolがマイウエイ
やアイルビーゼアに混じって顔をのぞかせている。

西洋の映画と音楽がインドネシアに押し寄せてきたモダン化の時代にかれはその洗礼を受
け、そしてそれを実践したアーチストだった、と民族音楽学者イルワンシャ・ハラハップ
氏は論評している。

かれはメダンのデリ映画館機構の厚遇を得て、ハリウッド映画の音楽に触れる機会を潤沢
に得た。もちろん作曲家だけがモダン化の波に乗ったわけではない。西スマトラのミナン
語の歌曲をメインにするオルケスグマラン(Orkes Gumarang)やオルケスクンバンチャリ
(Orkes Kumbang Tjari)も西洋風のオリジナル曲に傾斜して行ったし、バンジャルムラユ
語の持ち歌をメインにするオルケスタボネオ(Orkes Taboneo)やオルケスリンダンバヌア
(Orkes Rindang Banua)もラテン音楽と見まがうばかりのオリジナル曲をヒットさせた。
[ 続く ]