「ダリマナ?(2)」(2018年11月29日)

別の要素としては、電話をかけてきたのがまったく未知の人間であれば、名前を言われて
もどこの何者かがわからない。その人間の所属や肩書などがわかれば、用件のおおよその
ところは想像できるということもある。この方が実用的であるケースも多々存在したにち
がいない。

そういったところから、名前を尋ねる「イニシアパ?」は電話をする人間がその電話を取
った相手に使うようになり、あからさまに名前を尋ねようとしない「ダリマナ?」が電話
を取った人間のセリフになるという、インドネシア独特の電話文化が形成されたのではあ
るまいか。

インドネシア人知識層の中にも、その「ダリマナ?」の用法に不快を感じるひとは少なく
ない。電話をかけてきた人間が誰であるのかを知りたいのに、「どこから電話しているの
か」という質問を発する頓珍漢は合理精神を疑われる、というのがかれらの見解だ。

文筆家ラハルディ氏もそのひとり。会社や役所など組織機関に電話すると、必ず「ダリマ
ナ?」という質問にぶつかる。個人の資格で動いている人間に所属機関を尋ねられても返
答に困る。だから氏は常に自分の名前「ラハルディ」でそれに答えている。

あるときインドネシア大学修士課程事務所に電話したとき、電話に出た者が「Dari mana, 
Pak?」をやったから、かれは「Dari rumah.」と返事した。すると相手は驚き、驚きを隠
そうとして「Rumahnya di mana, Pak?」と口走ったから、氏はしゃあしゃあと「ここだ
よ。チマンギスだ。」と答えたそうだ。

語義論的に「ダリマナ?」は場所を尋ねているのであり、その返事が家であろうが、田ん
ぼであろうが、路上でもパサルでも、何らおかしいわけではない。しかし大会社の電話交
換嬢に「ダリパサル」と言えば、たとえそれが事実であったとしてもかの女はふざけてい
ると考えるだろう。

だから相手を脅かしたければ、チランカップの国軍総司令部へ行って駐車場に車を停め、
やおら電話して例の「ダリマナ?」への答えに「チランカップの国軍総司令部」と低音で
きっぱりと言い切れば、電話を取った者はすぐさま相手につないでくれるにちがいない。
もしも総司令部のどこかと尋ねられたなら、駐車場だと答えればいいのである。ラハルデ
ィ氏は誠実な人間なのだ。[ 続く ]