「ダリマナ?(終)」(2018年11月30日)

首都警察の向かいのビルに入っているオフィスで、同じようなことをしている人間がいた
ことを知っている。かれは業務上であちこちに電話するが、「ダリマナ?」の返事に「首
都警察」と答えるのである。かれに言わせれば「首都警察の向かいのXXビル内のOO社」
を省略しているだけなのだそうだ。このケースが誠実に該当するのかどうか、わたしは知
らない。

電話における「ダリマナ?」が場所でなく、組織機関の名称を尋ねているのは明白だ。つ
まり第一次的な語義である場所から副次的な語義である所属に移行が起こっていることを
それは示している。大きい構図で見るなら、どの組織機関からこちらの組織機関にコンタ
クトが起こっているのかという形式がそこに描き出されているのである。電話してきた人
間も、それを受けたわたしも、互いにそれぞれが所属している組織機関の一歯車だという
意識がそこから匂ってくる。これは公用電話通信の際に起るパターンであり、だれしもが
納得できるものだ。

もちろん組織機関の名称を尋ねる場合、正確にはアパが使われるべきなのだろうが、その
状況で「ダリアパ?」という表現がしっくりこないのも明らかだ。言語用法として「ダリ
マナ?」が選択されたのは、それなりの言語感覚のゆえであるにちがいない。

現代でも、電話でつながった人間が相互にその意識で会話するケースはもちろんあるだろ
う。しかし公用電話通信の際に発生するそのパターンは、疑似的なものを含めて総電話使
用件数の何パーセントを占めているのだろうか?わたしにはそうでないケースのほうが多
いように思われるのである。

どこの国でも電話発展史の原点にはそのような公用電話通信が主体をなしていたにちがい
ない。そこに構築された用法が、時代がまったく変わってしまった現代にまで維持されて
使われ続けているのがこの現象であるようにわたしには思われる。

既に時代が変化してしまったいま、昔ながらの「ダリマナ?」を使って電話してきた相手
の名前を尋ねているのはナンセンスである。そんな用法はもうやめて、「ダリシアパ?」
に変えようではないか、とラハルディ氏は呼びかけている。[ 完 ]