「ポルノ、其一(前)」(2018年12月11日)

ライター: フランス国立東洋言語文化学院元インドネシア語教官、アスヴィ・ワルマン
・アダム
ソース: 2006年3月3日付けコンパス紙 "Porno dan Parno"

インドネシア語大辞典(KBBI、1988年)でpornoはcabulと同じとなっている。
pornografiは色欲をかき立てるための画像や文章によるエロチックな行為の描写と定義付
けられ、また別の定義ではセックスにおける色欲をかき立てることを故意の目的にして作
成された素材となっている。この辞書にpornoaksiの語彙は見当たらない。

ポルノグラフィが英語語源であるなら、ポルノアクシはインドネシアで作られた単語だ。
pornoactionという英語はない。1960年代にインドネシア国民はcrossboyという言葉
をよく耳にした。意味は不良少年だが、これも英語の辞書には載っていない。

英語をもじるインドネシア人の創造力は、エムハ・アイヌン・ナジブの著作マドゥラ民話
の中にその例を見ることができる。ある村でひとりの若者が仲間たちから何をしに町まで
行くのかと尋ねられた。若者は答えた。「プレイボーイを買って来る。」「ええ?おまえ、
あんな雑誌を買いに行くのか?」「雑誌じゃない。子供の玩具だ。だってプレイは遊ぶ、
ボーイは子供だ。」


インドネシアの映画界におけるポルノグラフィについては、歴史の最初から検閲が行われ、
昔の方が厳しかった。検閲はポルノグラフィに関してだけでなく、いわゆる倫理クライシ
スに含まれるあらゆるものに対して行われた。1952年のウスマル・イスマイル作品
「Terimalah Laguku」の中で夫が妻の耳を引っ張るシーンでさえカットされた。唇が触れ
合うキスシーンもNGで、50年代には重役と秘書のキスシーンをシルエットで描写して
もダメだった。

1954年には、当時の社会を震撼させた事件が起こった。有名なセックス女優ヌルナニ
ンシが、当時の標準で見てたいへん大胆なポーズをシーンの中で示したという世の批判だ。
雑誌クンチャナ1954年10月20日号には「ヌルナニンシ事件:全裸写真が映画界を
驚愕させる」という記事が掲載されている。[ 続く ]