「ポルノ、其一(後)」(2018年12月12日) 詳しく調査したところ、それはフランス人キャバレーダンサーの身体にヌルナニンシの顔 写真を焼き付けたモンタージュであることが判明した。おまけに全裸などではまったくな く、ブラとパンティを身に着けていた。合成写真技術も今とは比べ物にならないようなお 粗末さだった。 ポルノあるいはチャブルの意味合いは時代と共に変わる。1957年にインドネシア作家 機構がスタン・タッディル・アリシャッバナ、ハムカ、ガユス・シアギアンたちを招いて 「チャブル読み物とは何か」という討論会を開いた。しかしそこでの議論は結論が出なか った。なぜなら「色欲をかき立てる」ことの理解がひとによって異なっていたからだ。そ れはすべての人間にとって同一でなかったのである。 ポルノグラフィに関する議論が盛り上がっている昨今、われわれは1950年代という、 その時代独自の状況下にあったころに立ち戻りたいのかということが問題なのである。時 間の歯車を逆回転させて過去に戻ることができるのだろうか?モラルの退廃という言葉で かつて呼ばれているものへの過剰な怖れを持たずもっともっと冷静にこの問題に対処する ほうが賢明なのではないか。昨今のトレンディな用語を使うなら、この問題に対してパル ノにならないことだ。 パルノとは現代青年たちが頻繁に使う言葉で、テレビによく登場する若者スターたちの愛 用語だ。それはパラノイドの短縮形なのである。妄想症、自己を誇大に感じるような妄想 的で異常な思考にひとを向かわせる精神病、という定義のパラノイアはKBBIに採録さ れているが、パラノイドは見当たらない。 KBBIのその定義をジョンMエコルズ&ハサン・シャディリ編英語インドネシア語辞典 と比べると、KBBIは不正確に見える。英語インドネシア語辞典ではパラノイドを被害 妄想の、パラノイアを恐怖や失望故の精神異常、と定義付けている。ポルノとパルノの境 界は文字の上から紙一重なのだ。[ 完 ]