「インドネシアのサンタクロース(2)」(2019年01月08日) クリスマスツリーに点滅電飾を飾れば、キリスト教の祝祭を行うことになるという観念論 者は始末に困る。それはクリスマスというシーズン性を脚色している商業主義がもたらし ているものでしかなく、そんなことを理由にしてキリスト教の祝祭に加わっている背教徒 ムスリムだなどと言われた日には、クリスマス大売り出しのデパートやモールにも行けな くなってしまうではないか。実際にインドネシアで行われているクリスマスセールはたい へんな人出で、イドゥルフィトリのルバランセールと同様に、たくさんのムスリムが商業 主義を満喫しようと押しかけて来ているのである。キリスト教の祝祭に加わるのであれば、 教会でのミサに行かずして、どうしようと言うのか。 宗教をネタに使った商業主義がクリスマスやバレンタインなどキリスト教がらみのものを 持ち出してくるのは、歴史が作り上げた世界覇権の結果であって、商業主義者たちがキリ スト教布教の尖兵の役を買って出ているわけではあるまい。そんな区別もつかない人間に 宗教を語る能力があるのかどうか、わたしにははなはだ疑問だ。 インドネシアのサンタクロースは、オランダ人が持ち込んだキリスト教文化の一環だった ために、聖ニコラスを意味するオランダ語シンテルクラアス(Sinterklaas)になぞらえてイ ンドネシア語でもシンテルクラス(Sinterklas)と呼ばれる。 オランダで祝われる聖ニコラス祭は毎年12月5日であり、聖ニコラスは良い子に与える プレゼントを詰め込んだ袋を従者のスワルトピート(Zwarte Piet)に担がせて家々を訪問し、 一年間良い子だった子供にはプレゼントを与え、悪い子にはスワルトピートがお仕置きを 与えるという話を親たちは子供の躾に使うのだが、当日やってきたスワルトピートは道化 師を演じて子供たちを愉しませてくれる。 親の中には悪ガキ子供を改心させるべく、スワルトピートに仕置きを頼む者も出るにちが いない。そういう難題をうまくさばく能力もスワルトピート役者には必要だろう。スワル トピートはその名の通り黒人であり、オランダ人のレーシズム性向の一端を表していると 分析する議論もある。[ 続く ]