「アッラーはすべての神(前)」(2019年01月24日)

ライター: アッマジャヤ大学倫理開発センター教授、K ベルテンス
ソース: 2006年9月22日付けコンパス紙 "Allah dalam Menoteisme dan Poli-
teisme"

2006年8月18日付けコンパス紙に掲載されたサムスディン・ブルリアン氏の「ア
ッラーは誰のもの? 」と題する論説は興味深い。さまざまな宗教で最高支配者を示す名
称が同じ根の上で相互に関わり合っているのだ。たとえばアッラー(Allah)、 (イラー)
Ilah、 エル(El)、エロ(Eloh)、エロヒム(Elohim)、等々である。それらの名称は多分
「明るい」を意味する古代の根に由来している。「明るさ」は火・太陽・月・星々に関連
した体験だった。

宗教史におけるもっとも原初的な宗教体験は自然界の中で神聖なるものを見出した。神秘
に満ちた自然は人間に「別なる者」を示したのである。それについてはミルチア・エリア
ーデがその著作Traite d'histoire des religions(1948年)の中で素晴らしい描写を
示している。

この小論は上の分析に、ひとつの方向性を与えるためのものだ。すなわち、一神教と多神
教におけるアッラーがどうであるのかという話である。宗教史の枠組みの中で一神教は革
命的な発展だったのだが、最高支配者に対する古代名称はそのまま残された。一神教を最
初に発見したユダヤ人の宗教では、古代名称に由来するエロやエロヒムに加えて、ヤーウ
ェという特別名称も用いられた。アラブ語にはアッラーという語が作られた。それは一神
教の名称Al-lahでもある。それ以前のギリシャ語には、単数形で一神教を指すニュアンス
を持つho theosという名称が使われていた。ギリシャ人はまた多神教的意味合いでhoi 
theoiをも使用した。こうして一個のtheosのみが存在することを述べる思想、一神教の現
代語monotheismに語義が吹き込まれたのである。一方、politheismは複数のtheoiが存在
するという思想だ。それゆえ、一神教であろうが多神教であろうが、同一の語根が使われ
ているのである。

ラテン語には冠詞がない。ラテン語話者はdeus(複数形dei)の語を使って崇拝者を示し
たが、ギリシャ語におけるho theosのように、その語を一神教の文脈における専用語にす
ることはできなかった。そのためにかれらは知恵をしぼって、大文字小文字で区別する方
法を編み出したのである。Deusは一神教におけるもの、deusとdeiは多神教の文脈におい
てのみ使われるもの、というように。その慣習は現代語にも引き継がれている。英語にお
けるGod, gods, a god,というように。[ 続く ]