「国是は有神性(前)」(2019年01月30日)

ライター: 言語教育学修士、ムリヨ・スニョト
ソース: 2012年8月3日付けコンパス紙 "Ketuhanan yang Satu Besar"

われわれの国家原理の第一項目を言語面から分析する前に、アルベルト・アインシュタイ
ンの偉大なる言葉を引用しておく必要がわたしにはある。「ロジックはあなたをAからZ
まで導くだろうが、イマジネーションはあなたをあらゆるところに案内する。」


Ketuhanan Yang Maha Esa. (一神教型の有神性=訳者による)
まずこの表記法に注目していただきたい。繋辞yangは敬語化されて奉られ、語頭が大文字
になっている。口うるさい現代編集者はそれを、現代言語における実定法に基づいて修正
しようと、うずうずしていることだろう。使われるべきはyangであり、Yangではないのだ、
と。

表記法はそれだけに終わらない。接辞であるのが明白なmahaが一体化されるべき後続の数
詞と切り離され、一語としてその前に置かれているなんて、見るに堪えない無様な姿では
ないか。口うるさい現代編集者はその間のスペースを取り払いたくてしかたあるまい。か
れにとっての正書法はKetuhanan yang Mahaesaなのである。

しかしまあ、それはもう言うまい。表記法というものは本質的に、もっとも根源的な言語
エッセンスではないのだから。元来、言語というものに文字はなく、音だけがあった。そ
こでは、大文字だの小文字だの、あるいは正立体だの斜字体だのといった問題の議論でエ
ネルギーを浪費することなどなかったのだ。


では続いて、語義論に移ろう。口うるさい現代編集者は再び、それを直さなければ自分は
仕事をしていないと感じるにちがいない。かれはmahaの語義を十二分に理解している。
かれは自分の確信を絶対無比にするべく、国語センターの最新版KBBIをひもとく。そ
こに記されているmahaの語義は、副詞「sangat, amat, teramat」、形容詞「besar」だ。
一を意味するesaは数詞であり、名詞もしくは形容詞として機能する。ならばmahaesaとは
「sangat satu」あるいは「satu besar」である。[ 続く ]